そして6月12日。2016年の投手・大谷が本領を発揮するときがくる。札幌での阪神戦。10日のカード初戦はサヨナラ勝ちだったのに、11日は零封負け。首位・ソフトバンクとの差は当時今季最大となる11ゲーム差にまで開いていた。

 嫌な雰囲気を変えるため、自分にできることは何か。

「きょうは僕のなかでも大事だと思った。最初から全力でいこうと決めていた」

 力を解き放つ。一回、初球から160キロ。2番・西岡への3球目、プロ野球最速となる163キロをマークした。どよめく場内。4球目はファウルにされたものの、また163キロを計測。この日、7イニングを投げて直球58球のうち、実に31球が160キロ台。163キロは計5球もあった。「これを毎回続けることはできない」と本人も認める、パ・リーグの灯を消さない強い決意を込めた剛球だった。

 今季を振り返ってみると、投打ともに絶好調、という期間は短かった。ただ、投手がダメなときは打撃で、打撃が下降気味のときは投手で、といい補完関係ができていた。それが顕著だったのは、7月10日、右手中指のマメがつぶれ、皮が大きくめくれて以降だ。

 指先に過度の力がかかる投手は、その影響が「マメ派」か「ツメ派」に分かれるという。大谷の場合は前者。今季は特に、パワーがついたことで指先への負担も増したのか、開幕直後から悩まされた。4月24日のソフトバンク戦(福岡)でも、右手の中指と人さし指にできたマメが悪化し、七回2死一、三塁でトレーナーからストップがかかった。序盤、なかなか勝ちきれなかった一番の原因といっていい。

 7月にマメがつぶれたことで、オールスターにはファン投票で選ばれていた投手としては出られず、特例で打者での出場となった。それでも、ボールを投げられない悔しさを、バットに込められるのが、大谷だけの強みだ。1試合目は、ホームラン競争で並み居る強打者を抑えて、9本塁打で優勝。2試合目は5番・指名打者として本塁打を含む3安打と打ちまくった。

「投げられないよりは投げたほうが楽しい」

 一人で試合を支配できる投手への思いは強い。

「けど、それでイライラすることもない。やれることをやっていけば、いいんじゃないかと思います」

 自分だけが持つ、もう一つの強みを、グラウンド上で表現すればいい。自然体で臨んでいた。

 吉井投手コーチは、「投手だけなら、もっと(復帰が)早かったと思う。ただ、彼の場合は打つほうもあったから」と振り返る。7月26日からは、指名打者として連続出場。一時は3割6分を超えていた高打率で、打線の中核を担う。いつのまにか、その存在が大きくなりすぎていた。

 2月22日、春季キャンプの終盤──。日本ハムの栗山英樹監督は、午後2時22分22秒に、大谷の開幕投手を発表した。「2」という数字に、文字どおり、二刀流完成への決意を込めた。「普通は一つのことを貫くんだけど、あいつは二つのことをやり切らないといけない」

 球速は、シーズン最終盤の9月13日には164キロにまで至った。打っては20本塁打を超えた。2016年のシーズンは、二刀流として一つの到達点に達した。

 近い将来、大谷は必ず太平洋を渡る。残された時間は少ない。投げても打っても、まばゆい輝きを放つ22歳を一度でいい、野球場で見てほしい。たとえ空振りでも、たとえ三振を奪えなくても、フルスイング、全力投球の姿に、いつの間にか、目を奪われているはずだ。

週刊朝日  2016年10月7日号