作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は記憶遺産における「慰安婦」の意義を論じる。

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 去年10月、ユネスコ記憶遺産(MOW)に、中国が「南京大虐殺」と「慰安婦」の記録を申請して、「南京大虐殺」だけが登録された。あの時、保守系メディアなどは「日本はユネスコに多額の資金を拠出してるんだけどねぇ」と、札束ちらつかせたり、「慰安婦」は却下されて当然だろう、みたいな論調が多かった。

 いったいなぜ「慰安婦」は登録されなかったのだろう。先日、MOWの職員が来日したイベントが都内であった。わかったのは、中国が出した記録に不備があったから「慰安婦」が登録されなかったのではなく、むしろユネスコ側から、「被害者は中国だけじゃないよね」「韓国でも準備をしているから、国際的なチームを組んでやったらどう?」という提案があったという事実。実際、今年5月には日本、韓国、中国、オランダ、イギリスなどの国際チームが「慰安婦」の記録を改めて申請したという。

「記憶」というと、主観的な印象を受けるけれど、実際に登録されるのは、専門家による厳密な審査を経た「記録」だ。なぜ記録を残すのかといえば、権力者によって都合の悪い記録は捨てられ、または改ざんされていってしまうものだから。

 お話ししてくれたのは、オーストラリア人のレイ・エドモンドソンさん。1997年に記憶遺産の登録がはじまった当初から、MOWに関わってきた。興味深かったのは、オーストラリアが「世界初の商業映画」を申請し、登録された時の話。オーストラリア人の彼は審査には関われなかった。登録によって利益を得る可能性のある人は、審査の過程から外されるのだ。レイさんは、映画が登録されることで映画史が改ざんされることを防げる、と登録の意味を語っていた。

 
 ちなみに南京大虐殺については、殺された人数があやふやだ、という批判が日本からあったそうだ。でも、殺された人数は重要ではないという。重要なのは、記録が事実に基づいているものかどうか。そのために政治やお金で心動かされない、登録によって利益を得ることのない専門家集団が徹底的に審査するという。お金とか政治の話をして文句言っても無駄ってことです。

 今年申請された「慰安婦」の記録は、戦争中だけのものではない。女性たちの闘いの記録も、申請された。91年に金学順さんが初めて声をあげて以来、女性たちは国内・国外から心ない言葉を浴びせられてきた。それでもこれは女性の人権の問題なのだと闘い、加害国の責任を追及し、自国の加害にも声をあげ(韓国軍のベトナム戦争時の暴力についてなど)、国境を超えて連帯し、「慰安婦」問題を国際世論に訴えてきた。そういった女性たちの運動も、「慰安婦」の記録だ。

 去年の年末の日韓合意後、日本政府は「慰安婦」問題を「忘れよう」という方向で走りだしている。そうはさせない、起きたことはなかったことにさせない、という女たちの闘いは続いている。巨大な国家相手に四半世紀にわたって闘い続けた女たちの記録が、人類の遺産として残されることを、私は日本人として、女として願う。

週刊朝日 2016年9月30日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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