政府が進める地方分権の流れの中で、12年4月、それまで都道府県や中核市が担っていた墓地の経営許可などの権限がすべての市に移譲されたことも、墓不足に拍車をかける結果となっているという。全日本墓園協会の横田睦主任研究員がこう語る。

「都道府県の権限ならば人口の多い都市の住民のための墓を郊外につくるという判断もできるが、市単位では住民の反対運動の影響なども受けやすく、新規の許可を出しにくい。制度上の問題で、墓が供給不足に陥ってしまうのです」

 こうした状況がある一方、仏教界では不動産開発が盛んだったバブル時代から、ビジネス的な分野に積極的に乗り出す寺院が出てきた。そうした寺院が「墓不足」という消費者のニーズをすくい取り、現在の「ビル型納骨堂」など新たな「お墓ビジネス」が出現。近年は海洋散骨や樹木葬などの自然葬や、遺骨の一部をペンダントに加工したり、小型の骨つぼを自宅で保管したりといった「手元供養」など、さまざまな形の弔い方が生まれてきた。

 このまま葬儀やお墓の作法は“何でもあり”になってしまうのか。前出の二村氏はこう語る。

「私は揺り戻しがあると考えています。深く考えず親の遺骨を散骨してしまった遺族が、一周忌を迎えて親戚から『法事はやらないの?』と聞かれて困ってしまう。そんな相談が実際に私のところにも来ます。自然葬の人気が高まっているとはいえ、やはり日本人は供養に何らかの『実体感』を求めている。となると故人の遺骨か遺髪が必要ですが、やはり永年残るのは遺骨。遺骨があると、残された人たちは安心感を感じるようです」

 たとえお墓がなくても、日本人には「骨」へのこだわりがあるのだろうか。合葬や散骨でも、遺骨の一部を少量残しておいて、ペンダントなどに入れる「手元供養」と併用する例が出てきている。

「現代は良くも悪くも葬送がビジネスとなり、選択肢が広がるが、やみくもに安さを追い求めるのではなく、『葬祭リテラシー』を持って、故人の送り方を考える時代が来ているのです」(二村氏)

週刊朝日 2016年9月30日号