「自ら経験していないことを学び取ることができないとしたら、われわれは歴史をもっていないことになるであろう」

 先の大戦の目的・性格に関しては、さまざまな意見や思想があります。しかし、昭和館は議論には立ち入らず、中立的な立場で、専ら戦争が庶民に与えた影響という視点から歴史的資料を集め、展示などの事業を行う国立の施設です。私は、陛下が戦後70年を迎えるにあたりおっしゃった、「歴史を学んでいくことの大切さ」という言葉の重みを、いつも胸に置きつつ館の展示などの充実に努めています。

 昭和館の立つ東京都千代田区内を見渡せば、通勤や散歩で毎日通る道にも戦跡は残っており、歴史を学ぶことはできます。大手町の高層ビルの谷間を抜けると日本橋川に架かる長さ30メートルの鎌倉橋が現れます。苔で覆われた御影石の欄干部分を観察してみてください。44年11月の東京空襲のときに、爆撃と機銃掃射で受けた銃弾の跡が、無数に残っています。

 永田町、霞が関、日比谷など皇居を取り巻く一帯は、大本営、陸軍省など陸軍の中心施設があり、現農林水産省などが立つ土地には、海軍省がありました。戦争末期には、皇居前広場や日比谷公園は陸軍の高射砲陣地になり、ビルの屋上にも高射砲や機関銃が据え付けられます。日劇(現有楽町マリオン)では、勤労動員された女学生が風船爆弾を組み立てていました。

 北の丸公園にある東京国立近代美術館工芸館。国の重要文化財に指定された赤れんがの建物は、近衛師団司令部庁舎です。「終戦の詔勅」の録音盤奪取未遂事件の舞台です。大手門の奥にぽつんと置かれた鯱(しゃちほこ)は、空襲で焼失した旧大手門渡櫓に飾られていたものですし、昭和館に運ばれて展示されている防火用水槽は、九段会館(旧軍人会館)に設置されていたものです。

 息苦しいほどに武器で囲まれ、空襲で焼け野原となったこの街で暮らす妻や子供、老人たちはどれほど恐ろしかったでしょうか。

 昭和館では毎回角度を変えた展示を企画します。連合軍側の鮮明な写真をそろえた企画展では、日本との国力の差を実感させられる迫力がありました。米公文書館が所蔵する、米機の空襲で類焼した明治宮殿と皇居付近を写した2枚の写真も過去の企画展で使用したものです。

週刊朝日  2016年9月9日号より抜粋