橋田壽賀子さん(撮影/写真部・加藤夏子)
橋田壽賀子さん(撮影/写真部・加藤夏子)

 橋田さんが『渡る老後に鬼はなし スッキリ旅立つ10の心得』(朝日新書)を出した。これまでの自分の生きざまを振り返りながら、「終活」について書いた本である。橋田さんの「終活」に対する思いを伺った。

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 今年5月で私は91歳になりました。

 80代までは新幹線で熱海の自宅から東京へよく出かけたものです。しかし、最近は人ごみのある駅に行くのさえ嫌になりました。このあたりは自然が豊か。タヌキやイノシシが姿を見せることもあります。標高400メートルのわが家の目の前には網代湾が広がって初島はもちろん、晴れた日には房総半島や三浦半島まで眺めることができます。鳥のさえずりが聞こえます。静かです。居心地がいい。

 89歳で「終活」に手をつけました。同じ熱海に住む泉ピン子さんから「ママは来年90、もう十分年を取っているんだよ」と言われました。「立つ鳥跡を濁さず」と考えたのです。お手伝いさんたちの手を借りながら、持ち物の整理を始めました。

 蔵書の多くは熱海市の図書館に寄贈、資料として取ってあった新聞の切り抜きなどはすべて処分しました。長い間詰め込むだけでのぞくこともなかった押し入れの片付けを始めると、いろいろなものが出てきました。

 バッグなんか数えたら120個も出てきました。もらい手がなかったバッグは、リサイクルショップに出したら四十数万円に化けました。倉庫は物であふれかえっていた。自宅前に造ったゲストハウスも荷物だらけでした。

 そうやって片付け続けること1年余り。何十年もたまっていたものがなくなった。家の中がすっきりしました。

「終活」をするにあたっては、「なにもない」がいちばん幸せだと思っています。人間は見返りを求めてしまう生き物です。しまいには「子どもなんて当てにならない」「あんなどうしようもない嫁!」と、そんな恨みがましい心がひょっこり顔を出す。もっとすっぱり、爽やかに最後を締めくくりたいじゃありませんか。

 私には子どももいないし、夫も今はない。名誉欲もなければ、親戚もいない。友達もごく限られた少数です。

 何も残さずに死にたい。でも、そうは思っても墓については少し事情が違います。27年前に亡くなった夫の岩崎嘉一は静岡県にある実家のお墓でお母さんと眠っています。マザコンだったので、喜んでいると思います。

 私は父の実家の愛媛県今治にあるお墓に入ることに決め、墓石もつくり替えました。かつて夫と一緒に、と思って買った日本文藝家協会の共同墓もあるのですが、ここには二人の骨ではなく、主人と私の遺品の時計を入れてもらうつもりです。

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