岩井:明治の皇室典範を制定する過程は興味深いものがあります。法制度に抜きんでて詳しい専門家である井上毅(こわし)宮内省図書頭と柳原前光(さきみつ)元老院議官のふたりが、懸命に案を練り、「譲位は可能とすべし」と起草した。だが伊藤博文が、皇位につくのは天皇の義務なりと一喝した。「万世一系の天皇」を編み出した井上ですら、「至尊(天皇)と雖(いえども)人類」という言い方で譲位を説いたのですが、却下された。大正天皇のときもそうでしたが、天皇が病気だ、こんなに弱っている、と議会や国民に知らせないと摂政が置けない。それよりは譲位のほうが良いと井上は考えていたのですが。

園部:生前退位の理論について戦後まもなく、佐々木惣一・元京大教授と南原繁・東大教授が述べています。佐々木氏は「国家の行くべき道、国民が自己を律すべき道」を教えるために、天皇はご退位のご希望があれば、国家機関とのご相談のうえで、ご退位もあり得ると、昭和21(1946)年の段階で発言している。

岩井:それはすごい。戦争責任のとり方も絡むのでしょうが、天皇がへそを曲げたら辞められる、ということですかね。

園部:そうです。南原氏も、退位の自由を認めないのは天皇の基本的人権を侵害しており、その意味で退位もあり得るとおっしゃっている。終戦翌年すでに、東大と京大の両巨頭が退位という言葉も使って議論をしているのに、退位がタブー視されたまま今日に至ったのは、残念だと思います。

岩井:お言葉をじっくりと読むと、両陛下のお考えがにじみ出ていると感じる箇所があります。

陛下は、「国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と話しています。つまり、国民との間に信頼し、敬愛し合う関係があってこそ、天皇の祈りは意味をなす、と。天皇、皇后の公務は、明仁さま、美智子さまという二人の人間がなせる業で、抽象的な天皇、皇后が来られたからありがたい、ということではない。しかし、属人的な性格を帯びる両陛下の仕事を、引き継げるでしょうか。

園部:制度を考えるときには、個人の考え方やあり方を除外して、地位を基本として考えます。海外の王室のように、ご本人は健康でも、跡継ぎが一人前に成長したから譲位する、という考えもある。

岩井:だが、皇位の継承は、人脈を引き継ぐこととは違う。皇太子さまも広く国民と接しないと、天皇の祈りと癒やしの力を持てないよ、と陛下はお言葉で伝えているようにも感じました。

週刊朝日  2016年8月26日号より抜粋