「はるみさんは最初、あなた、と呼びかけるような冒頭をどう歌うか、どう“間”をはかるか、歌い方に苦心したようです。同じように、あなた、で始まる南こうせつさんの『神田川』を参考にしたと伺いました」

 75年12月に発売、すぐにいい曲だと評判になった。その年のNHK紅白歌合戦での歌唱も話題になった。こんな笑い話もある。

「うちの事務所で唯一、演歌を聴くと頭が痛くなるというスタッフがいましたが、その彼がテレビを見た後『もう一度聴きたい』とレコード屋に買いに走ったというくらい。世間でもその歌に痺れた人が多かったのか、売り上げがグングン伸びました」

「北の宿から」は翌76年に日本レコード大賞と日本歌謡大賞のW受賞という快挙を成し遂げた。はるみは80年に出した「大阪しぐれ」も大ヒットし、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。これで新人賞、レコード大賞、最優秀歌唱賞を受賞した日本レコード大賞史上初の三冠王となった。

「はるみさんは84年の12月、NHK紅白歌合戦のトリをもっていったん引退しました。私たちには寂しいことでしたが、あれほど上手な歌い手の傍らで生歌を幾度も聴けたことは幸せでした。引退の年にNHKホールで行ったファイナルコンサートも印象に残っています。今年亡くなられた蜷川幸雄さんの演出で、歌の途中で天井から“赤い椿”がぽとぽと落ちて床に敷きつめられていく。美しく敷きつめられた花々がやがてすべて掃かれ、舞台に何もなくなり、はるみさんがひとり凛と立っている……蜷川さんは、はるみさんの電撃引退を見事に演出されました」(一部敬称略)(本誌・藤村かおり)

週刊朝日  2016年8月19日号