再ブレークした太川陽介の命運を分けた瞬間と、早見優がトイレに駆け込んで泣いたワケ

週刊朝日
 近年、再ブレークを果たした太川陽介のデビュー(1976年12月)は所属事務所であるサンミュージックの福田時雄名誉顧問(86)にとっては忘れられない瞬間だ。

 作曲家の都倉俊一氏がつけたその芸名は、サンミュージックを象徴するような“太陽”の文字が入り、彼の明るいイメージにもぴったりだった。77年にはシングル「Lui-Lui」がヒット、79年からはNHKの歌番組「レッツゴーヤング」の司会を務めるなど、70年代後半を代表する男性アイドルとなった。

 彼もまた不思議な縁とタイミングでサンミュージックとつながっていた。福田氏は約40年前、デビュー前に京都府まで親に会いに行ったという。

「陽介は高校2年生のとき、桜田淳子の映画の“相手役募集”の記事を雑誌で読んで応募してきたのですが、締め切りを過ぎていた。そんな男の子たちが他にもいたので、落選組も集めて敗者復活戦をしようということになりました。そのひとりだった陽介を(創業者の故・)相澤(秀禎)が“10年に1人の逸材”と気に入り、『彼をスカウトしよう。(親御さんを)口説いてきて』と私に言ったのです」

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