「ディズニーランドなんて一生行かない」と決めていた(※イメージ)
「ディズニーランドなんて一生行かない」と決めていた(※イメージ)

 落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「遊園地」。

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「ディズニーランドなんて一生行かない」と決めていた。

 東京ディズニーランドが出来たのは、私が5歳の時だ。友達は「行ってきた!」と騒いでいたが、うらやましくはなかった。

 両親も私がせがまなかったからか、連れていこうともしない。年の離れた3人の姉たちは、夏休みにそれぞれ友達と行ったようだった。お土産に「耳」をもらったが、家でつけても何にも感じない。鏡を見たらたいそう恥ずかしい。「こんなもんで喜んでいるのか」と、かえって心は離れていった。

 小学校高学年の時だ。近所のジャスコに遊園地が出来た。「北関東一高い観覧車」が売りだった。なぜもう少し頑張って、「関東一」にしなかったのか? いや、気合入れれば「日本一」も不可能ではなかろう。ドライブインシアターやパターゴルフ場も併設された、ちょっとオヤジに特化した遊園地だった。

 観覧車から見えるのは、ただただ乾いた広大な関東平野のみ。「冬はよく燃えそうだな……」と中学生の時、男友達と揺られながら語りあった。

 高校は男子校で、彼女も出来ず、ディズニーランドなんか行くわけもない。卒業遠足らしきものもしたにはしたが、大宮公園で男だけの花見。まだ3月で寒くてビールが苦かった。

 大学で彼女が出来たが、別に行こうという話も出ない。お互い、人ごみが嫌いというのもある。もっぱら寄席通い。行ったことないのに「こっちが数倍面白いや。第一ミッキーマウスに小話は出来まい!!」と誤った感想を抱いていた。後年、ミッキーはガチャピンばりに何でもやることを知り、申し訳なく思った。

 落研仲間で浅草の花やしきへ行ったな。ちっちゃいジェットコースター。したり顔で「風情がある」とか言う人がいるが、貧乏臭いだけじゃないか?

 浅草寺の縁日で亀売りのお婆さんに「これ、死んでますよね?」と訴えたら「ぶっ殺すぞっ!!」と怒鳴られたな。今じゃない。昔の浅草だ。

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