追悼大橋巨泉さん 長女が語る最後の3カ月 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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追悼大橋巨泉さん 長女が語る最後の3カ月

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「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」はかけがえのない曲に…(※イメージ)

「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」はかけがえのない曲に…(※イメージ)

 テレビ番組「11PM」「クイズダービー」などの司会で知られた大橋巨泉さんが7月12日、急性呼吸不全のため亡くなった。

 長女で、ジャズシンガーの大橋美加さん(56)は悲報を聞き、夫と長女、長男の家族4人で自宅へ駆けつけた。美加さんが語る。

「亡くなった父の顔は本当に眠っているようで、身体もまだ温かく、家族みんなで触りました」

 11年間に及ぶ闘病生活だった。2005年に胃がんの手術、13年以降は中咽頭がんなどで3度の手術と放射線治療を続けた。

 テレビ司会者で、評論家、実業家。巨泉さんは、多才な「遊びの達人」だった。

 1934年、現在の東京都墨田区両国生まれ。早稲田大学在学中からジャズ界の有名人だった。学生服でショーの司会をする巨泉さんを見た、ジャズクラリネット奏者の北村英治さん(87)をして、「話もうまいし言うことも大きい。華があった」と言わしめたカリスマ性。大学中退後、ジャズ評論家として出発、64年にはテレビ界に進出し、瞬く間に時代の寵児となった。

 65年にスタートした「11PM」では、当初放送作家として参加し、それまで放送界ではタブー視されたゴルフ、マージャン、競馬なども取り上げた。翌年からは司会の一人となり、「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズで売り出す。お色気から政治、公害問題まで硬軟織り交ぜて俎上に載せ、人気を博した。

 本誌では71年、対談連載「巨泉の真言(しんげん)勝負」が始まった。対談相手は井上ひさし、青島幸男、有吉佐和子、畑正憲、大蔵大臣時代の福田赳夫ら各界の著名人たち。担当編集者だった池辺史生さん(76)が当時を振り返る。

「売れっ子で、人気番組の『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』の後しか対談の時間が取れない。だから開始時間は夜の9時半過ぎから。それでも事前に渡した対談相手の資料や著書など、すべてに目を通してきていた。テレビではお調子者のように見られていたが、実際はすごく真面目でインテリ」


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