田中は、キッシンジャー国務長官に以前語った自身の言葉とは異なり、一貫して米国と歩調を合わせることなく、台湾断交に向かって突き進んだ。その結果、台湾が中国に攻撃された場合の問題は未解決のまま残され、日米安保体制は大きな矛盾を抱え続けることになった。

 73年8月1日の日米首脳会談に関するホワイトハウスの会議録には「最重要の課題を最少の準備で持ち出すのは田中首相の性癖である」と記載された。

 同8月3日に開かれた大統領外交情報諮問委員会でキッシンジャーは日本について「彼らは何でもリークする」「付き合うのが難しい」「狭量で冷血だ」「生き残るために周囲に同調できる」と評した。

 74年1月6日、電話の中で、キッシンジャーは国務省幹部に、田中の言動への不満をぶつけ、「気が狂っている」と吐き捨てるように言った。

 同11月11日朝、現職大統領として初めての訪日を控えたフォードにキッシンジャーは念押しした。

「彼らは、あなたがしゃべったことをすべてリークするだろうということを覚えておかねばなりません。あなたがしゃべっていないこともたくさんリークするのです!」

 同16日、ホワイトハウスの大統領執務室で、キッシンジャーはフォードに日本の危険性を語った。

「日本は大変な脅威です。歴史上、彼らが恒久的な同盟を持ったことは一度もありません。日本人は何でも受け入れます。何にでも適合できる異常な社会です。彼らの社会の基礎的な構造はいかなる体制にも順応できます。もし我々が大国としての地位を失えば、我々は日本も失うでしょう」

 同18日、フォードは米国の現職大統領として史上初めて日本の土を踏んだ。キッシンジャーはこれに同行した。翌19日に東京で大平に会うと、キッシンジャーは「もしあなたが田中の後任になるのなら、私は必ずしも悲嘆に暮れませんよ」と言った。(敬称略)

週刊朝日 2016年8月5日号より抜粋