立浪氏はエールを送る。

「伝統ある偉大な野球部で、少人数ながら頑張ってきたことは必ず将来の財産になっていくと思います」

 84年夏の甲子園大会決勝で、取手二に4-3とリードされた九回裏に本塁打を放った清水哲氏。大学時代の試合中に首の骨を折り、車いす生活を送る。

「生活のリズムやルールを厳しく守ることを教えられた。その経験をさせてもらったことが、生きる力になっている」

 もう一度甲子園に立てるのならば、この大会の3回戦に戻りたいという。都城を相手に9−0とリードした九回裏、打球は中堅の清水氏の頭上を越えた。

「ジャンプすれば捕れたけど、リードしてたし、無理しないで丁寧に捕ろうと思った。桑田が甲子園で初めて打たれた本塁打だった。悪いことしたなぁ」

 98年の夏といえば、球史に残る延長十七回の熱戦を繰り広げた横浜戦だろう。当時主将を務めた、楽天2軍監督の平石洋介氏は「高校時代の最後の試合。嫌でも心に残るので、一番の思い出ではあります」。

 個性の強い選手をまとめるのに苦労はなかった。

「家族以上に長い時間をともに過ごしますから。一生の仲間でしょうね」

 それだけにPLの現状を歯がゆく見ていた。

「野球を学びたくて入部したのに、野球経験がある指導者がいない、なんてかわいそうですよ。休部になったのは、我々OBの責任もあると思います。今は復活を願うしかないですけど」

 その横浜を率いた渡辺元智・前監督は振り返る。

「全国優勝を目標にチーム作りを始めたわけですが、そこに立ちはだかったのがPLでした。動じない大人の野球と表現したらいいのでしょうか。技術や素質だけでなく、精神的な強さも含め、すべてを兼ね備えていました。PLと戦って日本一になりたいと思えるような大きな存在でした」

週刊朝日 2016年7月29日号