ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌新連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「アモーレ」を取り上げる。

*  *  *

 何も人間だけがアイドルなわけではありません。犬だってアザラシだって、時にはトカゲだってアイドルになりますし、いわゆる流行語なんてのも、存在としてはアイドルそのものです。それにしても、「アモーレ」なんて言葉が旬になってしまう日本は、つくづくいじらしい国だなと痛感する今日この頃。人生何が起こるか分かりません。長友選手の放ったアモーレシュートも、さして絶妙だったとは言えない気がしますが、この「アモーレ」と日本人の間にあった長く険しい歴史を思うと、余りの呆気なさに……。

 60年代後半、ヒデとロザンナの大ヒット曲「愛の奇跡」の曲中で、ロザンナ先生が高らかに叫んだ本場イタリアの「アモーレ~!」が、最初の伝来と言われています。愛情表現が比較的地味な日本人にとって、本能のままに求め合うイタリア人のパッションは、どこか笑ってしまうと同時に羨ましいものだったのかもしれません。しかし、恥ずかしがり屋の日本人は、とりあえず「アモーレ」をギャグフレーズとして収めました。堀内孝雄の「サンキュー!」や「チェケラッチョ!」と同類です。

 やがて80年代になり、中森明菜の「ミ・アモーレ」(曲の舞台はブラジルのリオ)がレコード大賞を獲ったことで、アモーレは完全なる市民権を得ますが、もはやどこの国のどんな意味の言葉であるかも見失い、さらなる謎を深める結果に。そして平成の世になっても、ユーミンが「さよならずっとアモーレアモーレ」と、その使い道を煙に巻き、そのまま今に至る。これが日本人とアモーレの煮え切らない50年です。

 
 日本人にとってお洒落の象徴でもあるイタリアなのに、なぜアモーレやチャオといった言葉には、どこかムード歌謡的な垢抜けなさと、酒場のおふざけ感が漂うのか。かく言う私も、以前イタリアの楽曲を日本語カバーした際、得も言われぬ気恥ずかしさを覚えてしまい、芸名を「ミッツ・マングラッチェ」にした過去があります。真正面からぶつかる勇気がないのです。イタリアに。

 そこへ来て、さすがはサッカー。長年の照れと劣等感を一蹴した感がありますが、とは言え、今回の“アモーレチャンス”をものにするまでには、かなりの時間を要しました。第一人者のカズは「バモラァ!」と、意味不明なポルトガル語を叫んでばかりでしたし、中田ヒデは、むしろ「アモーレ」と言われる側だったのではないか……。そんな背景と道のりを経て、ようやくアモーレの御し方を日本人に示してくれた長友選手。ロザンナ→明菜→ユーミンと来たアモーレ終着点が、平愛梨でいいのかという疑問はさておき。

 それでも結局、「僕のアモーレです!」の後には、「笑ってください」を付けざるを得ないわけで、私は少し安心しました。しかし今さらこれを流行語にしてしまう辺りは、日本が払拭できずにいる横文字コンプレックスが滲み出ていてぐったりします。ショーンKの時にも思いましたが、敗戦国の哀しみって、そう簡単には報われないんですよね。虚しいけれど、これが日本人の健気さ、いじらしさなのかもしれません。

 今年の紅白には是非ともロザンナさんを出場させ、アモーレの初心を日本国中で噛みしめたいものです。来年の今頃には死語になっているかもしれないという身も蓋もなさも含めて。

週刊朝日 2016年7月1日号

著者プロフィールを見る
ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

ミッツ・マングローブの記事一覧はこちら