歌を歌おうと、白衣を着ようと、そして父になろうと、それらの本質は二の次で、ただただ「やっぱり福山かっこいい!」と、ひたすらうっとりできればそれで良し。もっと言ってしまえば、「好き」か「嫌い」かの判断すら放棄し、「かっこいい」という正解を上書きするだけの20余年。そして福山さんは、そんな世間の需要(イメージ)に飄々と応えてきました。なんたる苦行! SMAPのような帰る場所もなければ、田村正和のように未確認物体になるわけにもいかず、そりゃ突拍子もなく写真を撮り出したりもするはずです。

 もちろん熱狂的なファンや“ましゃ信者”が相当数いるのは分かっています。だけどアイドルを存在させる世間というのは、常にそのひとつ外側の人垣であって、その人垣が抱く、極めてぬるい好意が何千万と織り重なった結果、数々のドラマをヒットさせ、「桜坂」を名曲にのし上げ、「福山ロス」などという実体のない現象を、あたかも歴史的事実のようにしてしまったわけです。無責任が招いた産物たち。世間は今一度、福山雅治への感情を精査すべきです。でなければ、福山さんの行く末が心配でなりません。

「何もしなくていい」と言われ続けながら、あらゆることを成し遂げ、気が付くと本当に何もすることがなくなってしまったようにも見える福山さん。きっと今後も、何をしたって「さすが」と崇められ、「素敵」とありがたがられる一本道が続くのでしょう。その境地の先にいるのは、美輪さんぐらいしか思い浮かびません。やだ、大変。福山雅治は美輪明宏になる……。奇しくも同じ長崎出身のお二人。心なしか「家族になろうよ~♪」がシャンソンに聴こえてくる気がしなくもありません。私、初めて福山雅治を楽しめそうです。

週刊朝日  2016年6月3日号