清原被告へ東尾修がエール「名球会は門戸を閉ざすことはない」
連載「ときどきビーンボール」
キヨは「自分の更生のために野球に向き合うというのは、野球に対して失礼」との内容を語った。もちろん、野球界がすんなり受け入れてくれるという甘い環境でもない。
ただ、キヨも会員である「日本プロ野球名球会」の理事の立場で言いたい。名球会は門戸を閉ざすことはない。近くに寄り添い、手を差し伸べることはできないが、彼が更生できたと世間に認められたとき、みんなが立ち直ったと思えたときには、彼を迎え入れたい。名球会員のほとんどが同じ意識でいることを忘れないでほしい。理事を務める佐々木主浩が弁護側の証人として法廷に立ち、「(清原は)今でも野球人」と語った。野球人として残した足跡までが否定されるものではない。
完全に社会から許しをもらうことはできないかもしれない。人間として一生をかけて償うものなのかもしれない。昨年にキヨが行った「お遍路」は八十八カ所の霊場を巡拝し、最後は私の地元、和歌山にある高野山にお参りする。私は、1月11日の福岡・ヤフオクドームで行われた名球会イベントで、彼に「高野山の頂上まで来たら迎えにいくぞ」と声をかけた。
野球界に恩返しをしてほしいとの思いから出た言葉だった。その3週間後に逮捕され、私の願いは遠のいたかもしれないが、道が閉ざされたわけではない。厳しい更生の道を自分の足で歩き、再び野球界にたどり着くことができたなら、笑顔で迎えにいきたい。信じて待ちたい。
※週刊朝日 2016年6月3日号
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。
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