古い道徳や因習をはねのけて自己の道をつらぬいてきた瀬戸内さんは、ポキポキとしたドライな文体で、小説のプロットだけを簡潔に書いていく。一見すると小説アイデア集、下書きのメモ、あるいはショートショートを思わせるが、そうではない。30篇の掌小説が合体して、男と女の恋情の宇宙が現出する。

 ひとつとして同じ話はないが、登場人物に共通するのは、愛を求めて彷徨し、精神的な傷を負っている。

 第一話の「サンパ・ギータ」は「ホテルの指定された部屋には鍵がかかっていなかった。」という一文で始まる。軽くノックしてドアを押してみると、すっと開いた。旅疲れしている中年男は五分刈りの頭髪が相当にのび、顎や鼻の下の無精髭がのびている。空港に近い町のホテルは垢ぬけせず野暮ったい。こんな町で女を買う男に幸福な男なんているはずがない。

 第三話「露見」の「俺」は暮れから正月にかけては、情を通じた女と旅にばかり出ている。女と正月を過ごすと家族より自分を愛されていると思うのか、常より情熱的になった。旅さきでの元旦に、妻から電話があり、「別れて下さい」と言われる。「男ができたのか」「…はい」「どこのどいつだ」。妻とできた男の正体があかされ、あっと驚く結果をむかえる。どんどん怖くなっていきます。

 第四話「夫を買った女」は、このタイトルでK新聞社の自分史の懸賞に応募をして佳作となった女の話。女はわけあって隣県のヘルスで働き指名ナンバーワンの売れっ子となった。K新聞社の懸賞係の男は、この女のマンションに通い、夫が留守のあいだ密会して情事を重ねる。女には三歳の双児の女児がいたが保育園に預けていた。その女が交通事故で即死し、葬儀場へ行くと、海運王オナシスに似た老紳士に声をかけられる。さて……と女の秘密があかされます。あとは読んでのおたのしみ。

 全編に死の影があって、それがあっけらかんとしている。不倫も、死出の旅も夜の秘密の電話も、不倫相手との「最後の晩餐」も心中未遂も、日常生活のなかにある。

次のページ