被害者が行方不明となった4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立するのと引き換えに沖縄が切り捨てられた日だ。遺体が発見された県道104号線は、かつて米軍の実弾射撃演習が行われるたびに封鎖され、着弾地に労働者・学生が潜入して阻止した喜瀬武原闘争が行われた場所でもある。

 被害者が名護市出身であることも含めて、事件の報道内容から沖縄の基地問題の歴史と現在が重層的に浮かび上がってくる。事件に対する直接的な怒りや悲しみにくわえ、過去の米軍犯罪や演習事故、現在の辺野古新基地建設問題まで、多くの思いを沖縄人に駆り立てるだろう。3月13日にはキャンプ・シュワブ所属の米海軍兵が、那覇市内のホテルで観光客の女性に準強姦事件を起こしている。辺野古新基地建設をめぐる代執行訴訟で、国と沖縄県が和解し、埋め立て工事が中断したと思ったら、米兵・米軍属による凶悪事件が連続している。

 いったい、いつまで沖縄は犠牲を強いられるのか。「基地負担の軽減」や「綱紀粛正」「事件の再発防止」といった空念仏をいくら唱えても、沖縄の状況は何も変わらない。もはや辺野古新基地建設阻止にとどまらず、全基地撤去を目指してたたかうべきだ。沖縄の中でそういう声が高まっていくのは必至だ。

 5月20日には嘉手納基地のゲート前で、250人が集まって緊急の抗議集会が開かれた。今後、大規模な県民集会が開かれ、米軍に対する抗議行動も強まっていくだろう。大手メディアの報道を見ていると、オバマ大統領の訪日や選挙への影響を懸念する内容がめだつ。しかし、問題の本質はそこにあるのではない。沖縄に過重な負担と犠牲を強いて成り立っている日米安保体制そのものが問われるべきなのだ。

週刊朝日  2016年6月3日号