伝説の娼婦“ハマのメリー” 真っ白メイクは厚化粧ではなかった? (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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伝説の娼婦“ハマのメリー” 真っ白メイクは厚化粧ではなかった?

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伝説の女性とされ、その名をよく知られた存在だった「ヨコハマメリー」…(※イメージ)

伝説の女性とされ、その名をよく知られた存在だった「ヨコハマメリー」…(※イメージ)

 伝説の女性とされ、その名をよく知られた存在が「ヨコハマメリー」だ。横浜の街角で、顔を真っ白に塗り、純白のドレス姿で立っていた。本名も年齢も分からなかったが、いつしか都市伝説になった娼婦である。自分で「メリー」と名乗ったわけではない。誰彼となくそう呼ばれるようになった。

 出身は中国地方といわれる。戦後、神戸に出て米兵相手に働き、恋人となった進駐軍の将校と上京した。だが将校は母国へ帰国。メリーは横浜の街角に立つ娼婦となり、老いてからは雑居ビルのエレベーターホールや廊下で寝泊まりしていた。

 メリーの化粧は厚化粧というのではなく、能の役者が面をかぶることによって聖なる存在になるような儀式だったのではないか。横浜在住の夫婦フォークデュオ「ダ・カーポ」には、メリーのことを歌った歌がある。

 霧の街角で
 一夜の恋をさがした
 ギリシャの船乗りと
 はしゃいでいるのを見た
 愛がないからマリー
 抱かれるの
 自分の心マリー
 変えたくて
 (1982年発表「横浜マリー」)

 作詞と作曲をしたダ・カーポのギター奏者・榊原政敏さん(67)は中学生のころ、初めてメリーさんを見た。休日に伊勢佐木町や横浜駅に遊びに行くと、必ずメリーが立っていたそうである。歌舞伎役者のように白い顔。濃いアイシャドーが印象的だった。

「彼女は、正史では語られない戦後の闇そのものではないか」

 榊原さんの妻・広子さん(65)は「人にこびるような感じはなく、気品があった。最初はフランス人形かと思った」という。

「まゆをひそめる人もいたが、『ハマのメリーさん』とも呼ばれ、慕われていた。港町横浜は寛容度が高い。流れ着いた人たちを迎える気風がある」

 蜃気楼のようにつかめそうでつかめない。近づけば消えてしまう。そんなメリーさんは、なんと1990年代半ばまで街角に立っていた。95年に横浜から忽然と姿を消し、2005年、故郷の中国地方の施設でひっそり亡くなったという。

<JASRAC 出1605250-601>

週刊朝日 2016年5月27日号より抜粋


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