凍結した冬の諏訪湖の上を…(※イメージ)
凍結した冬の諏訪湖の上を…(※イメージ)

 近松半二らが書いた時代物「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」について、次世代を担う文楽太夫の一人、豊竹咲甫大夫さんが紹介する。

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 最近何かと経歴詐称が話題を集めていて、様々な人に疑いの目が向けられているようです。もちろん、過大評価に繫がる詐称はいけませんが、ごくまれに許される場合があります。人形浄瑠璃の本朝廿四孝で描かれる親孝行がその一例です。

 本朝廿四孝は、近松半二らが書き上げた五段続きの時代物です。本朝とは日本のこと。元々、中国に二十四組の孝行話を集めた廿四孝という書物があったことから、戦国時代に戦いのなかで生まれた孝行話を日本版として戯曲化しました。

 物語の背景にあるのは、甲斐の武田信玄と越後の長尾(上杉)謙信の敵対関係。発端は武田家の重宝である兜(かぶと)を謙信が借りたまま返さないことでした。時の将軍・足利義晴は両家の和睦を願い、信玄の子息である勝頼と謙信の娘・八重垣姫(やえがきひめ)を婚約させます。しかし、その後、将軍が暗殺されたため、疑いをかけられた両家はそれぞれの跡継ぎである子息を切腹させて責任を取ることに。勝頼も許婚(いいなずけ)を残して犠牲となります。

 ところが、死んだ勝頼は幼い頃にすり替えられた偽者。本物の勝頼は蓑作(みのさく)という名で花作りをして暮らしていました。父・信玄はまさかの事態に備えていたのです。日本では親より先に死なないことが何よりの親孝行とされます。勝頼は経歴を詐称して生き延びましたが、命が狙われるこの場合に限っては許されるのではないでしょうか。

 この本朝廿四孝が、五月に名古屋で上演されます。今回上演する十種香(じゅしゅこう)の段と奥庭狐火(おくにわきつねび)の段は、勝頼の命日に、謙信の館で八重垣姫が亡き勝頼を偲(しの)ぶ場面から始まります。そこで八重垣姫は勝頼とうり二つの蓑作と鉢合わせ、「勝頼様ぢやないかいの」と何度も詰め寄り、真実を突き止めます。しかし、謙信も蓑作の正体を見破っており、蓑作を長野県塩尻へ遣いにやり、その道中で討ち取ろうとしていました。

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