「近頃、半島に凝っているんです」
「そうですか。私もですよ」
ゴルフや音楽、映画に凝る人ならいくらでもいるだろうが、“半島”に凝る人はあまりいないだろう。
2人の半島談議を不思議な気持ちで聞いた記憶がある。ずいぶんあとになって宮村さんに聞くと、
「司馬さんはね、半島は片側しか発達しないんだよ、両側が華やかな半島はないんだといわれてましたね」
と、思い出を語ってくれた。
三浦半島でいえば、右側の横須賀は明治後に海軍で発展し、左側の鎌倉は源頼朝が首都に選んで開けたことになる。
◇ ◇
寒さに負けない司馬さんは、2月には鎌倉を歩いている。
山登りはなく、街歩きである。
コースは打ち合わせ済みだった。
出発前に、司馬さんから恒例の軽い“試練”を受けていた。
「『とはずがたり』、知ってる?」
「えーと、いつだったかな、女流文学ですよね」
文学史のかすかな記憶はあったが、もちろん内容は知らない。聞かずに語ってほしいものである。
作者は後深草院二条で、鎌倉時代の後期に生まれ、前半生を京都で過ごしている。
高位の公家の娘で、賢く、恋が多かったようだ。
<恋には、したたかでもあった。ある時期、複数の相手を愛し、当時も罪の意識になやみ、その後、仏門に入ってから、そういう自分の罪障を見すえ、そのことによって菩提(ぼだい)を得ようとした>
恋に疲れた尼僧はやがて旅に出るが、向かった先は鎌倉である。
「その二条がありがたいことに、鎌倉の街並みを書いてくれているんだ。鎌倉時代の景色や建物、道路とか、あんまり書いているものは残ってないからね」
と、司馬さんはいう。
『とはずがたり』のテーマは恋愛でもあり、紀行でもあった。
「鎌倉に入る前に江の島で1泊し、化粧坂(けわいざか)を通って鎌倉に入っている。でも彼女は江の島から極楽寺に行っている。すぐ近くの極楽寺坂を通るのが自然だと思うんだ」
恋の世界に前半生を過ごした二条にすれば、化粧坂という地名が魅力的に響いたのかもしれない。
「そんな二条が歩いたように、鎌倉に入ってみようか」