「かわいそうなぞう」への思い 秋山ちえ子さんを悼む

 6日に亡くなった評論家の秋山ちえ子(本名・橘川[きっかわ]ちゑ)さんは、日本の女性放送ジャーナリストの草分けだった。40年以上にわたり、ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍した。

「真の平和主義者を失いました。本当に残念です」

 秋山さんの主治医で、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さん(104)は本誌の取材にそう語り、「同志」を悼んだ。

 秋山さんは、自身の半生を問われると、よく「戦前の昭和と戦後の昭和に分けられる」と語った。

「戦前の昭和」は、第2次世界大戦前の「良妻賢母」教育の時代。東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大)を卒業後、ろうあ学校教諭をやめて、夫の赴任する中国にわたり、家事と子育てに専念した。

 終戦の2年前に孫を見せようと一時帰国。戦局の悪化で大陸には戻れず、食糧難、買い出し、内職に追われる暮らしへ。「戦後の昭和」への転機はラジオへの出演だった。教諭時代に放送の研究会に通っていたことが縁で声がかかった。

 戦後間もなく開始したNHKラジオ「婦人の時間」に秋山さんが初登場したのが1948年。翌年には「私の見たこと聞いたこと」でリポーターを担当。57年スタートのTBSラジオ「昼の話題」、そして「秋山ちえ子の談話室」に。日々のささやかな話題から時事問題、森羅万象を扱うコラム番組にはファンが多かった。2002年、85歳まで続けた放送回数は1万2512回。

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