1984年の東京・吉原のトルコ街 (c)朝日新聞社
1984年の東京・吉原のトルコ街 (c)朝日新聞社

 社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく。今回は「トルコ」。40代以上の方はご存じだろうが、「ソープランド」はかつて「トルコ」と称していた。改名にあたってはドタバタのドラマがあった。

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 外部に秘密を漏らさぬため、身内意識を共有するため、風俗の世界には独特の隠語、いわゆる符牒がある。俳優の小沢昭一さんが言っていたのだが、「ルートコ、行った?」もその一つ。「トルコに行った?」という意味で、仲間内で使っていたそうだ。トルコとはトルコ風呂のこと。今で言う「ソープランド」のことである。

 そもそもトルコ風呂は「トルコ人など回教徒の間で広く行われた入浴法」(デジタル大辞泉)。密室に熱気を充満させる乾燥浴で発汗後に体を洗った。日本では1951(昭和26)年4月1日、東京・東銀座にオープンした「東京温泉」が第1号とされる。

「今のソープからは想像もできないほど、サービスは健全だったそうです」

 近著に『風俗ルポ 昭和末年のトルコロジー』(人間社文庫)がある風俗ライター伊藤裕作さん(66)は語る。首から上だけを出す「蒸し風呂」(スチームバス)で汗を流し、「ミス・トルコ」と呼ばれた女性が、半袖の白衣と白いパンツ姿でマッサージを施すだけだったそうだ。それでも、連日大入りの満員。政財界など各界の名士が東京温泉に通ったという。

 似たような店は雨後の竹の子のごとく増え、サービスはどんどん過激に。53(昭和28)年には性的サービスを伴うようになり、浅草・ひさご通りには「スペシャルサービス」(通称オスペ)なるものが登場した。詳細は割愛する。

 58(昭和33)年に完全施行された売春防止法も大きかった。生き残りをかけた赤線業者が「浴場」として当局に営業届を出し、「トルコ風呂」と銘打って転業したのである。

 69(昭和44)年には川崎の堀之内にあった「川崎城」で働いていた浜田嬢が「泡おどり」を発案する。全身泡まみれになっての密着プレー。評判は、またたく間に全国に広がる。札幌・ススキノ、東京・吉原、千葉・栄町、横浜・福富町、岐阜・金津園、滋賀・雄琴温泉、神戸・福原、博多・中洲……。各地のトルコ風呂が同じようなサービスを始め、「泡おどり」はトルコ風呂の代名詞になった。芸能人御用達のトルコ風呂として人気を博した東京・大森の「歌麿」には、ビニールマットなるものも現れた。詳細は割愛しよう。

 天下太平と思われた業界に激震が走ったのは84(昭和59)年だ。トルコから日本に留学していた青年が、渡部恒三厚生相(当時)に直訴したのである。

「トルコとトルコ風呂は何の関係もない。変なイメージを持たれて不愉快」

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