ヤマザキマリの「イタリア“変人”巨匠案内」 ルネサンス期の巨匠たちの共通点は女性への興味のなさ!? (3/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

ヤマザキマリの「イタリア“変人”巨匠案内」 ルネサンス期の巨匠たちの共通点は女性への興味のなさ!?

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日
ヤマザキマリさん(撮影/遠藤智宏)

ヤマザキマリさん(撮影/遠藤智宏)

 私は同じ絵描きとして、ボッティチェリが抱えていた締め切りの大変さがよくわかるし、ダ・ヴィンチみたいに全部放ってどこかへ行ってしまいたいという思いも自分のなかにある。暗い絵を描くためにカラヴァッジョのように人殺しを……とは思わないけれど(笑)、見る人の気持ちを優先させたきれいなものばかりは描きたくないし、1作描くごとにしばらく放浪したくなる気持ちも理解できます。3人とも感情移入できるところのある、愛すべき、珠玉の“変人”ぞろいなのです。

 みなさんにもぜひ、変人としての彼らを身近に感じながら、絵を楽しんでほしいですね。

※次回からは、ヤマザキさんが3人の“変人”っぷりと、来日作の見どころを詳しく明かしてくれます!


【ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ関連年表】

1444または45年/ボッティチェリ(B)、フィレンツェに生まれる
1452年/ダ・ヴィンチ(D)、トスカーナのヴィンチ村に生まれる
1464年/Bフィレンツェで画家フィリッポ・リッピに師事
1466年頃/Dフィレンツェで芸術家ヴェロッキオに師事
1475-76年頃/B「ラーマ家の東方三博士の礼拝」を制作
1477-78年/B「プリマヴェーラ」を制作
1480年頃/B「美しきシモネッタの肖像」「書斎のアウグスティヌス」などを制作
1482年頃/B「書物の聖母」を制作
1483-86年/D「岩窟の聖母」を制作
1484年頃/B「ヴィーナスの誕生」を制作
1492年/B最大のパトロン、ロレンツォ・ディ・メディチ死去
1494年/メディチ家が没落、B神秘主義的な宗教画を描くようになる
1495-98年/D「最後の晩餐」を制作
1501年頃/D「糸巻きの聖母」を制作
1510年/Bフィレンツェにて死去(65-66歳?)
1515年頃/D「モナ・リザ」を制作
1519年/Dフランス・アンボワーズにて死去(67歳)
1571年/カラヴァッジョ(C)、ミラノに生まれる
1584年頃/Cミラノの画家ペテルツァーノに師事
1592年/C役人を負傷させてミラノからローマへ拠点を移す
1596-97年頃/C「トカゲに噛まれる少年(ロベルト・ロンギ美術史財団蔵)」を制作
1599-1600年/C「聖マタイの召命」を制作
1601年/C「エマオの晩餐(ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)」を制作
1606年/C「エマオの晩餐(ミラノ・ブレラ絵画館蔵)」を制作。5月、C殺人を犯しローマから逃亡。以降、ナポリ、マルタ、シチリアを転々とする
1610年/C恩赦を受けるためローマへと戻る途上、熱病のため死去(38歳)

ヤマザキマリ
1967年東京都生まれ。84年、17歳で単身イタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、美術史と油絵を学ぶ。97年漫画家デビュー。古代ローマの浴場設計技師を主人公に描いた「テルマエ・ロマエ」が空前のヒットとなり、2010年、マンガ大賞、手塚治虫文化賞短編賞を受賞。ほか漫画作品に『プリニウス』(とり・みきと共著)、『スティーブ・ジョブズ』など、著書に『ヤマザキマリのリスボン日記』『国境のない生き方』『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』などがある

週刊朝日  2016年3月11日号に加筆修正


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい