茶人・武者小路千家十四代家元、千宗守さん(左)と、主婦で公益財団法人官休庵評議員の和加子さん夫妻(撮影/楠本涼)
茶人・武者小路千家十四代家元、千宗守さん(左)と、主婦で公益財団法人官休庵評議員の和加子さん夫妻(撮影/楠本涼)

 千利休につながる茶の湯の家元であり、表千家、裏千家とともに三千家といわれる武者小路千家を継ぐ不徹斎千宗守(そうしゅ)、和加子夫妻。象徴とされる茶室「官休庵」から武者小路千家官休庵とも呼びならわされている。茶道の家元というと、別世界の人間のように思えるが、意外な姿が浮かび上がる。

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妻:(結婚して)最初のころ、「官休庵のお嫁さん、言葉がきついな」と言われたようですけど(笑)。高校から東京で過ごしていましたし、「はい」「いいえ」をはっきりしゃべるので、京都の人には違和感があったんでしょうね。

夫:でも、そういう批判を直接、本人に向かって言わないのが京都やね(笑)。

妻:ですから、あとになって知ったんですけど。

 結婚して、すぐに子どもが生まれて、育児にかかりきりで、外へ一歩も出ていない、という日々になったんですね。でも、お弟子さんをはじめ、多くの人々が出入りしますでしょう、外の世界から閉ざされている感じはまったくありませんでした。この家の殻に守られている、と思いましたね。ありがたいことに風当たりをまったく感じることがなかったんです。

夫:私は、「伝統あるお家でさぞ大変でしょう」などとよく言われました。今でもそうです。でも、親父は無批判に伝統を墨守する男ではなかった。婿で入った人ですからね、家も茶の湯も客観的に見ていました。「息子が一人前になるまでは絶対に茶の湯を教えるな」と周囲に厳命し、私には「美を見分ける目を養え」としか言いませんでした。

「能や歌舞伎は筋肉の柔らかいうちから鍛えなあかんが、茶の湯は違う」と。私は、大学で周りが就職活動するのを見て、俺もそろそろと考えるようになったんです。それから、祖父の高弟に徹底して仕込んでもらいました。

妻:「千家さんのご主人て、お茶室にこもっておられるんでしょう。お食事は毎日、懐石料理なんでしょう」とよく言われましたけど(笑)。

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