会場では介護現場からの演題をいくつか聞いた。「右上腕骨骨折した認知症高齢者への支援」など具体的な事例を引きながらの介護の方法などをめぐる提案、説明。熱心にメモを取る人の姿が。みな真剣だ。矢吹コーディネーターの「オランダ・イギリスの認知症カフェ」というショート講演がおもしろかった。認知症高齢者の当事者であるNさんが言った。

「この話が聞きたかったんだ。こういった認知症カフェはいいよ」

 矢吹さんは昨年、イングランド、スコットランドやオランダの現地を訪問した。15カ所の認知症カフェを見てきたという。オランダは認知症カフェ発祥地である。参加者は40人から50人で認知症の人は2人から4人。ほとんどが家族並びに地域住民で「ゆるやかな学びと出会いの場」として機能している。日本にある認知症カフェとは少し形態が異なっている。

 矢吹さんは仙台でも認知症の地域理解を深めるための認知症カフェを定期的に開こうと考えていた。会場でも参加を呼びかけた。

「俺も行ってみようと思っているんだ」とNさん。ぼくも機会があればぜひ見たい。

 いよいよシンポジウムである。トップバッターのぼくは何回か口ごもったが、何とか話したかった内容を制限時間に収めて話を終えた。続く丹野さんの話が感動的だった。

「5年前から物忘れが多く、ストレスかと思って病院に行きました。最初は近くの小さな脳神経外科でしたが、原因が掴めず最後は大学病院に検査入院しました。その結果、39歳のときに若年アルツハイマー病と診断されました。入院中、不安で眠れないときにインターネット検索で『30代、アルツハイマー』を調べると『進行が早くすぐに寝たきりになる』などの情報しかありませんでした。認知症=終わりと感じました」

 身につまされる。聴衆は引きつけられた。涙ぐむ人もいた。丹野さんは続けた。

「認知症の人と家族の会を知り、当事者との出会いは私を前向きにさせてくれました。10年経っても元気でいられる人もいることも知りました。私は認知症を悔やむのではなく、認知症と共に生きるという道を選び、自分の病気をオープンにしようと思いました。世間ではまだ認知症に偏見を持っている人が多いからです」

「仕事を続けるために、強い薬も飲んでいます。薬のせいで十分に眠れないこともあります。コーヒーを自分でいれたのに、いれてくれたと思ってお礼を言ったり、ミスはします。でも、そのミスを笑えるような環境に今はあります。認知症の人だってできることはたくさんあります。認知症の人から何でも取り上げるのではなく、できることはやらせてあげてください。みんなで支え合う社会を作っていこうと思っています」

週刊朝日 2016年3月18日号より抜粋