市役所を辞めて数カ月後に訪ねたとき、うつろな表情は、その後を予感させた。

「海に近い元の場所に家を建てたいけど、危険区域に指定されて、できなくなった。高台移転の話が進んでるけど、そこには住みたくねえ。今は様子見だ」

 何もかもあきらめたようなため息に、かすかなアルコール臭が混じる。かける言葉が見つからなかった。

 行政も手をこまねいていたわけではない。市の担当職員や保健師、仮設住宅の支援員は彼の情報を共有し、定期的に訪問していた。食生活の改善や病院の受診も勧めたが、彼自身が受け入れない。そのうち訪問を拒否されるようになった。

 津波ですべてを失い、復興へ変わりゆく故郷を受け入れられず、自ら立ち上がる気力も持てない――。彼のような被災者を、どうすれば救えるのだろう。いや、周囲の助けで生き延びたところで彼は幸せだっただろうか。そんな疑問が頭をよぎる。

 東日本大震災から5年。岩手、宮城、福島の3県では仮設住宅での、いわゆる「孤独死」が増え続け、昨年までに計190人に上ったという(朝日新聞調べ)。ちょうど5年で仮設住宅が解消された阪神・淡路大震災では233人だったから、ある程度は「教訓が生きた」と言えるのかもしれない。

 だが、男性が孤独死の7割を占め、その多くがアルコール依存をきっかけに衰弱死へと向かうパターンは変わらない。災害のショックと仮設暮らしで疲弊を募らせ、生きる気力を失っていく被災者をどう支えればよいのか。プライバシーにどこまで踏み込めるのか。答えは簡単に出ぬまま、東北ではまだこの先、数年は仮設住宅が残るとみられている。(ジャーナリスト・松本 創)

週刊朝日  2016年3月18日号より抜粋