「食べ物、水だけでなく土なども細かく測定し、ここは安全、ここは危険とすれば自分で判断できる。住民を戻すならそれくらいはしてほしい。でも現状は、空間線量が下がったから何もかも『安心』と言われるので、かえって不安になるのは当たり前です」

 町や村に戻りたくない一方、長引く避難先での仮設住宅暮らしに苦痛を感じる人たちも大勢いる。

 南相馬市原町区の仮設に入居する林マキ子さん(67)は、市内の特定避難勧奨地点にある大谷(おおがい)地区から避難してきた。

「仮設は壁が薄く、隣家にも気を使わなくてはいけない。ここでの生活はもう疲れました。でも、大谷の家は特定避難勧奨地点はすでに解除されているとはいえ、何より被曝生活は嫌なので帰りたくありません。とはいえ年金生活の身にとって、仮設と家で二重の光熱費支払いをしなくてはいけないことは家計を圧迫します。東電からの補償も不十分。これではまるで半殺しにされているようです」

 林さんは仮設住宅の自治会長をしながら、4畳半2部屋で40代の息子と20代の孫との3人暮らしを続ける。だが、家財道具が溢れて部屋が狭いことから、息子だけ夜は大谷の家に寝に帰るという。

 避難指示が解除されれば、住民への精神的賠償や住宅支援もいずれ打ち切られる。となると、生活苦に陥る住民も増え、家に帰りたくなくても戻らざるを得ない人が出てくるだろう。

 復興が名ばかりにならないため、国は慎重に避難指示の解除を進めるべきだ。(ジャーナリスト・桐島 瞬)

週刊朝日  2016年3月18日号より抜粋