北原みのり「恩師が記した戦争」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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北原みのり「恩師が記した戦争」

連載「ニッポン スッポンポンNEO」

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戦後、韓国への旅に誘われても行けなかった、と…(※イメージ)

戦後、韓国への旅に誘われても行けなかった、と…(※イメージ)

 作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、大学時代の恩師が残した戦争の記録について。

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 書棚を整理すると、懐かしい本に再会できる。先日、四半世紀ぶりに大学時代の恩師の本をひらいた。歴史学者の荒松雄先生が1982年に書かれた『インドとまじわる』だ。

 ページをめくりながら、驚いた。大学時代に読んだ時と違う本になっていたのだ。数ページではあるけれど、先生が学徒出陣された時のことが記されていた。そして40代の私には、そのことがとても大きく映った。

 特に先生が見習士官として就いた初めての任務が、京城の妓楼から出てくる兵隊を監視することだった、と書かれていることに息をのんだ。1943年のソウルだ。2人以上での登楼が軍律で定められていて、荒先生は一人の兵隊を監視したという。前線ではなかった京城にある遊郭は、戦地の「慰安所」とは全く違う雰囲気だったはずだ。どんな女性がそこにいたのだろう、どんなところだったのだろう。

 1945年3月に済州島に行った話もあった。沖縄戦の前に、既に済州島での「最後の闘い」が決まっていたのだ。先生の任務は地下壕舎の建設だったが、沖縄の玉砕の報が届いた後は、作業を止め、玉砕に方針が変わったという。

 帰国は終戦の年の12月だった。こんなことが記されていた。「済州島の山奥では全く必要がなかった『突撃一番』の大包み」を本部から手に入れ小隊内で配った、と。そしてこれが「浅草の闇市で高い値で売れ、復員後の乏しい本代を少しばかり潤してくれた」と。


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