M:喜代は社会貢献への意識が高く、たとえば明治43年の東京市大水害の際は1千円の救援費を寄付しています。今の価値に換算すると、数百倍どころでは済まないでしょうね。大正7年に86歳で亡くなったときは、長年の国家への尽力が評価され、勲6等を授与されました。一方で、仕事には厳しかった。よく質屋の支店を朝6時くらいに突然訪問し、住み込みの小僧さんを慌てさせたそうです。

S:朝寝坊が嫌いだったので、抜き打ち検査をしてカツを入れてやろうと思ったのでしょう。ただ、従業員思いでもあった。

M:そう、従業員に困ったことがあれば、物心ともに面倒を見たそうです。そして年頃の子女がいれば、「あの娘にはあの男だ」と媒酌をするのが趣味だった。これが全部円満にいったというのですから、たいした眼力です(笑)。

S:喜代の従業員を大切にする心は、弊社が引き継いでいきたい大切な教えの一つです。喜代が購入した土地の一部は、今でも当社の重要な収益源。喜代の精神と土地を大切に、これからも尾張屋を実直に続けていきたいと思います。

(構成 ライター・伊藤あゆみ)

週刊朝日 2016年2月26日号