凄惨な比島決戦 生還兵が見た「太ももの肉が削がれた日本兵の死体」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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凄惨な比島決戦 生還兵が見た「太ももの肉が削がれた日本兵の死体」

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ルソンに立つ神風特攻隊の像(撮影/写真部・馬場岳人)

ルソンに立つ神風特攻隊の像(撮影/写真部・馬場岳人)

 フィリピンには7千もの島があり、日米両軍の戦闘はルソン島以外でも展開された。レイテ島はもちろん、大岡昇平の作品で知られるミンドロ島でも、観光地として有名なセブ島でも……。

 バナナの生産地として知られるミンダナオ島で凄惨(せいさん)な体験をしたのは、谷口末廣さん=東京都武蔵野市在住、95歳=だ。

 1944(昭和19)年9月。第133飛行場大隊に所属する谷口さんは、同島のバレンシア飛行場にいた。

 友軍機を待っていたところ、まるでカラスの群れのように40~50機が頭上の空を覆った。

「おーい。友軍機がやってきたぞ」

 大声で叫ぶと、仲間たちが兵舎から飛び出してきて、飛行機に手を振った。

 ところが、その機体が急降下したかと思うと、バラバラッと爆弾や焼夷弾(しょういだん)を投下してきた。

 谷口さんは、身一つを守る穴(タコつぼ)に飛び込んだ。直後に爆弾が炸裂(さくれつ)し、降ってきた土に首まで埋まった。隣に首のない戦友がいた。

 米軍機による飛行場への爆撃は4、5日おきに続いた。滑走路は弾痕ででこぼこにされ、そのたびに穴埋め作業に追われた。

 年が明けると、米軍が島の南北から上陸し、本格的な攻撃が始まった。航空司令部は「飛行場を死守せよ」と言うばかり。4月下旬には、「山岳地に撤退して陣地を構築し、玉砕覚悟で徹底抗戦せよ」との命令が下った。

 岩石を積んだだけの粗末な陣地に身を潜めた。マラリアで伏せっていた部下の上等兵が谷口さんの手を握り、「班長殿、家内が迎えに来ましたので、お先に帰ります」とつぶやいて息をひきとった。煙が立つから荼毘にはふせない。せめて家族に遺骨を届けようと、手首を切り取って持ち歩いた。


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