プロゴルファーの丸山茂樹氏は、米ツアーに挑戦する若手選手はしっかり基盤をつくったほうがいいとこうアドバイスする。

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 米PGAツアーのソニー・オープン(1月14~17日、米ハワイ州ホノルルのワイアラエCC)で、日本勢は片岡大育(だいすけ・27)の33位が最高でした。

 トップに5打差の6位で最終日を迎えましたが、1イーグル、3ボギーの71。ひとつスコアを落としただけでここまで順位が下がるなんて、日本ではなかなか起こらないこと。米ツアーの難しさを実感したんじゃないですかね。

 彼は昨シーズンの日本ツアー終盤にスペインへ渡り、欧州ツアーの出場権をかけた最終予選にチャレンジしたんですが、失敗。そんなに焦らなくてもいいのになあ、という印象ですね。もうちょっとしっかりした基盤をつくってからでも、という気がしないでもない。今回のようなスポット参戦をたくさん経験できるような位置ぐらいまで自分を磨き上げないと、外ではそんなに簡単には通用しませんから。あんまり気張っていかない方がいいかと、僕は思うんです。

 去年初めて日本でツアー優勝して、着実に力はついてきてる。どんどん順位を上げれば、スポット参戦でいろんな試合に出られるようになります。そのぐらいになって初めて、本格的に外へ打って出ていけばいい。ステップアップが大事だと思いますね。まだ始まったばかりですよ。今回感じた1打の重みを、もっと数多く体感するような経験が大事だと思います。ソニー・オープンは7044ヤードで距離的に日本人もまだ通用しますけど、アメリカ本土ではそうはいきません。

 石川遼(24)はソニー・オープンで予選通過はしましたが、3日目を終えてイーブンパーの84位で最終日に進めませんでした。

 
 まあ、もともと苦手なコースなんですけどね。ただテレビ観戦した限り、初日はすごくいい状態で回れてました。そこから尻すぼみってのは、遼らしくない。やはり米ツアーには何かあるんですね。彼の特別な思いがあるのか、あるいはアメリカに来ると気負いすぎてしまうのか。何ともわからないんですけど、結局そこなんですよ。

 僕が日本で20代後半のころにやってたパフォーマンスより、いまの遼の方がはるかに上だと思います。でも僕がその当時米ツアーに出たときでも、あんなふうに崩れるのはなかったんですよね。不思議です。今回は3日目になって苦手意識が出ちゃったのかなあ。

 ソニー・オープンの舞台になったワイアラエCCといえば、1983年2月のハワイアン・オープン。青木功さん(73)の大逆転優勝ですよ。当時は40歳。僕は中学1年でした。

 最終日の最終18番。セカンドが左ラフに入って、ピンまで128ヤード。青木さんはピッチングウェッジを握りました。フライヤーがかかった球はフォローの風に乗ってグリーンへ。ワンバウンドして、入っちゃいました。日本選手の米ツアー初勝利が土壇場での大逆転イーグルで決まるなんて、「すごい」って言葉しか出てこなかった。ほんとに映画を見てるようでした。

 1打差をつけてホールアウトしていたジャック・レナー(米)のぼうぜんとした表情も忘れられません。そのレナーが、翌年のハワイアン・オープンで優勝するんです。「すげえなあ。ガッツあるなあ」って感動しました。

週刊朝日 2016年2月5日号

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丸山茂樹

丸山茂樹

丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表監督を務めた。セガサミーホールディングス所属。

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