名球会ベースボールフェスティバル2016に出場した西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、イベントの舞台裏を明かした。

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 絶対に成功させたいと思っていたイベント「名球会ベースボールフェスティバル2016」(1月11日、ヤフオクドーム)に、1万7980人ものお客さんが集まってくれた。参加した名球会の会員47人は、若手から大御所まで誰もが一生懸命だった。野球界を盛り上げたいという気持ちが、少しでも伝わってくれたらうれしい。

 野球教室では、王貞治さん、張本勲さんのほか、清原和博、野茂英雄、古田敦也らが指導にあたった。これだけの顔ぶれがそろう野球教室なんて、名球会でなければあり得ない。

 参加した300人の少年たちの中には、私たちがプロ野球で実績を残した選手だということを知らない子もいるかもしれない。でも、ご両親に話をしたら、きっと喜んでいただけると思う。将来、この中からプロ野球選手が誕生し、「あの名球会イベントで教えてもらいました」と言ってもらうのが楽しみ。実際、すごく野球センスのいい子もいた。

 対抗試合の前にあった、ONの始球式対決は素晴らしかった。長嶋茂雄さんは以前よりも下半身を使ってスイングが鋭くなっていた。清原も「右腕をつかんでいただいたときの長嶋さんの左手の握力がすごかった」と話していたが、相当なリハビリを続けているんだろうなと思った。

 ONが「野球界を支えていこう」という姿勢を身をもって示してくれ、それに続く対抗試合でも、私以下の世代が真剣になった。清原も、野茂や佐々木主浩といった同世代に交じって楽しくやっていたよね。

 
 このイベントは1年以上前から、実行委員長の古田ら若手の理事がアイデアを出し、ベテラン会員を引っ張ってくれた。理事全員でスポンサー獲得に奔走した。私も微力ながら、九州であいさつ回りをした。名球会を支援してくださったことを本当に感謝したい。

 私は昨年12月上旬に腰の手術をしたため、投げる予定はなかった。だけど、ソフトバンクの工藤公康監督も、野茂も2イニングを投げてくれた。私も投げざるを得なかったよ。

 最終回となった6回にマウンドに立ったが、どうにも準備不足だった。山本浩二さんとの対戦では、フルカウントから背中に球が行ってしまった。

「ケンカ投法」と言われてしまったが、あれは狙って投げたのではなく、ホントにもう、バテバテだった。体のいろんなところが張っているけど、私自身も楽しむことができた。

 8月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、野球・ソフトボールが東京五輪の追加種目となるかどうかが決まる。残念ながら私用で参加できなかった松井秀喜も含め、名球会会員の誰もが「絶対に野球・ソフトボールを五輪に復活させよう」と考えている。個人で起こせる行動範囲には限界があるが、名球会全体で取り組めば、大きなうねりを起こせるのではないか。今回のイベントでも、その形を少しは示すことができたのではないかな。

 第2回以降を開催するには、12月や1月にドーム球場を確保できるかといった問題もある。後は人材。特に投手には早く名球会に入ってきてほしいよ。

週刊朝日  2016年1月29日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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