作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。2015年も様々なことが起きたが、北原氏が振り返る。

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 あけましておめでとうございます! と、スッキリおめでとーっ! と言いたい気分だけど、2015年が、あまりにも重かったせいか、新年に警戒心をどうしても持ってしまいます。

 2015年はほんと、政治に苦しめられた年だった。

 国に向かってあげる声が、届かない。智を積み重ねた論理ではなく、横暴な力の論理で物事が強引に進められていく。憲法を守らない政権が、安保法を可決させる。被災地のニュースは激減していくのに、汚染された土が詰まった黒い袋は増え続けている。原発事故は終わっていないのに、さらに原発を再稼働させる。1兆8千億円の運営費がかかるというオリンピックに、税金を支払う気力が心から失せる。辺野古を守ろうと人生をかけて闘う人の前で、サンゴ礁が壊されていく。「基地をつくるな」と声をあげる人を、東京から来た若い機動隊員が「粛々」と、2人がかりで拘束する。

 やだ……次々といやなことばかりが浮かんでくる。でも私、ほんと、政治が怖かった。言葉が、通じない。痛みが、通じない。声が、届かないことが。

 政治だけじゃない。社会の空気として、痛みに鈍くなっているのを感じる。

 12月に、ヘイトスピーチを剥き出しにした本が出版された。在日朝鮮人や難民、日本軍「慰安婦」にさせられた女性たちを嘲笑し、事実と全く違うことを、まるで「真実」であるかのように語り、憎悪をあおる本だ。

 
 辛淑玉さんはこの本を読んで「ヒトラーの『わが闘争』90年を祝福する本が、日本から出版されました」とおっしゃっていた。デマで人を扇動するのがヘイトスピーカーの常套(じょうとう)手段だ。そして、こういった本が「多様な意見の一つ」として書店に平積みされ、アマゾンなどのオンラインで人気ランキングに入る、そんな社会になってしまった。

「表現の自由」の名のもとに差別表現が堂々と行われ、一番痛んでいる人に対する共感や想像を、自ら手放す人々。痛がる人を嘲笑し、自己責任だと突き放し、軽い調子で、差別を娯楽にする様が、私はとても怖い。

 ああ、ごめんなさい。新年なのに、明るくなれない。

 で、そんな私が15年に最後にした仕事は、某ファッション誌で「五郎丸の魅力について語る」でした。一年最後に、ちょっと幸せ。これは、ニッポンスッポンポンNEOのおかげ。五郎丸を熱く語った回を読んで下さった記者が、「五郎丸を語って下さい!」とメールを下さった時、私はPCの前で思わず声を上げました。まさか私が五郎丸評論家になるとはね(←なってない)。

 と、そんな調子で五郎丸の取材が来た! と騒いでいる私に、

「五郎丸がテレビで『三歩下がってついてきてくれる女性がいい』って言ってたよ! ほら! どうなの!?」

 と密告調に、スマホの画面を見せてくれる友人が後を絶たないのだけど、五郎丸は悪くない、陳腐な女性観を植え付ける日本社会が悪いのよ! と反論することにしています。

 ということで、今年もよろしくお願いします。

週刊朝日 2016年1月15日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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