一方、母親もまた築地小劇場で女優の端くれやってましてね。劇作家の村山知義さんが息子さんに亜土(児童劇作家)って名前をつけたのを真似て、私を亜星にしたようなもんで(笑)。この母親は長野の出身で実践女学校の専門学部を出て、『共産党宣言』なんて赤い本を小脇に抱えて銀座を歩くのが格好いいと思ってたような人でね。

 役人のくせにかみさんがちょっと左がかっているんだから、やばいかなと思うんですけど(笑)。

 家ではおまけにエスペラント語を学ぶ会なんてのをやってまして。当時のことですから、世界言語だなんて集ってると特高が来るんです。「来たぞ!」ってんで、窓からみんな逃げてったの(笑)。私が5、6歳の頃ですから昭和12(37)、13(38)年の話です。

 そんなふうでしたから、特高こそ来たものの、明治以来の軍人がのさばって、みなもの言えぬ昭和だったかというと、私はそうは思えないんです。ジャズは流行っていたし、♪空にゃ今日もアドバルーン、という「ああそれなのに」(36)、♪あなたなんだい、の「二人は若い」(35)なんてナンセンスな歌もね。ともに古賀政男先生の曲ですけど。

週刊朝日  2016年1月1-8日号より抜粋