来年、名球会の初の「名球会ベースボールフェスティバル2016」が開催される。しかし、西武ライオンズのエースとして、そして監督として活躍した東尾修氏は、手術のリハビリのため欠席するという。その悔しさをこう明かす。

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 私事で恐縮だが、今月8日、地元の和歌山県の病院で、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)の内視鏡手術を受けた。65歳にして人生初めての手術。2時間くらいかかったかな。術後、太ももからお尻にかけて足のしびれがあったが、今はだいぶ楽になった。

 腰椎(ようつい)の3、4番間の神経を圧迫している部分を広くした。内視鏡を左の腰から入れるだけで、右の腰まで届くという。数日たてば、シャワーが許され、そう間を空けずとも、普通にお風呂に入れるようになる。大好きなサウナはしばらくやめておくけど、改めて医学はすごいと感じたよ。

 思えば、通算20年のプロ野球生活で手術をしようと考えたことはなかった。故障といえば、プロ5年目の1973年オフに疲労性のひじの痛みが出たことを思い出す。その年は15勝14敗と初めて勝利数が負け数を上回ったが、72、73年の2年で計567回を投げた。当時、太平洋(現西武)の監督だった稲尾(和久)さんに勧められ、大分の別府温泉で電気治療を受けた。

 あとは85年の阪神との日本シリーズ前かな。右肩を痛めた。ハリ、整体治療などあらゆるものを試すうちに自然と痛みは消えたが、後遺症らしきものは残った。めいっぱいストレートを投げ続けるスタミナは落ちた。だが、現役時代も引退後も、手術をするかどうかで悩んだことはなかった。

 今回、決断した理由はたくさんある。

 
 ここ数年、座薬や湿布薬を使っても痛みが強まっていた。足にしびれが出ると、ゴルフをしてもつまらないよな。そんな折、知人が「和歌山に素晴らしい先生がいる」と教えてくれた。侍ジャパンを率いる小久保裕紀監督の首の手術を担当した医師という。小久保監督に会った際に紹介してくれ、トントン拍子で日程が決まった。私の母校、箕島高校がその医師のお世話になっていたという事情もあった。さまざまな縁が重なって、手術に踏み切ることができた。

 術後は1週間ほど入院する。これだけまとまった時間をゆったり使えたことはなかったから新鮮だ。難しい内容の本を読むと、つい寝てしまうので、題材を選んでいる。もう一回、体がすっきりした状態で、野球もゴルフもやりたい。もう消炎剤にも頼りたくない。

 来年1月11日には、名球会の初めての一大イベント「名球会ベースボールフェスティバル2016」がヤフオクドームで開かれる。名球会の会員がセとパに分かれ、紅白戦もする。投手の数が少ないから、本来なら投げたいよ。でも、今は我慢。工藤公康(ソフトバンク監督)に投げてもらわないといけないかな。

 術後1カ月となる1月上旬から、しっかりリハビリを進めて、球春到来となる2月の春季キャンプには各地を動き回れる状態にしないといけない。

 現役の選手なら、どんなに成功率が高い手術でも、不安が先に立つだろう。でも、「長く悩まされた痛みが消えるんだ」と前向きにとらえれば、暗く考える必要もない。今回の私の場合、大手術と言うほどではないかもしれない。だが、大げさに言えば、スポーツ選手として体を酷使してきた“勲章”だと思う。今は心身ともにすっきりした状態で運動を再開できることを楽しみにしている。

週刊朝日 2015年12月25日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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