名球会初の球宴 東尾修は手術のリハビリで“我慢” (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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名球会初の球宴 東尾修は手術のリハビリで“我慢”

連載「ときどきビーンボール」

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週刊朝日#東尾修
日本シリーズの西武―阪神戦に備えて調整する現役時代の東尾修投手=1985年10月19日 (c)朝日新聞社

日本シリーズの西武―阪神戦に備えて調整する現役時代の東尾修投手=1985年10月19日 (c)朝日新聞社

 来年、名球会の初の「名球会ベースボールフェスティバル2016」が開催される。しかし、西武ライオンズのエースとして、そして監督として活躍した東尾修氏は、手術のリハビリのため欠席するという。その悔しさをこう明かす。

*  *  *
 私事で恐縮だが、今月8日、地元の和歌山県の病院で、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)の内視鏡手術を受けた。65歳にして人生初めての手術。2時間くらいかかったかな。術後、太ももからお尻にかけて足のしびれがあったが、今はだいぶ楽になった。

 腰椎(ようつい)の3、4番間の神経を圧迫している部分を広くした。内視鏡を左の腰から入れるだけで、右の腰まで届くという。数日たてば、シャワーが許され、そう間を空けずとも、普通にお風呂に入れるようになる。大好きなサウナはしばらくやめておくけど、改めて医学はすごいと感じたよ。

 思えば、通算20年のプロ野球生活で手術をしようと考えたことはなかった。故障といえば、プロ5年目の1973年オフに疲労性のひじの痛みが出たことを思い出す。その年は15勝14敗と初めて勝利数が負け数を上回ったが、72、73年の2年で計567回を投げた。当時、太平洋(現西武)の監督だった稲尾(和久)さんに勧められ、大分の別府温泉で電気治療を受けた。

 あとは85年の阪神との日本シリーズ前かな。右肩を痛めた。ハリ、整体治療などあらゆるものを試すうちに自然と痛みは消えたが、後遺症らしきものは残った。めいっぱいストレートを投げ続けるスタミナは落ちた。だが、現役時代も引退後も、手術をするかどうかで悩んだことはなかった。

 今回、決断した理由はたくさんある。


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