「戦前、戦中、戦後の沖縄芝居の歴史を体現してきた非常に稀有な方でした」

 那覇市で生まれ、小学生のときに母と2人で石垣島に渡る。13歳のとき、国民学校高等科の「学費を稼ぐため」に地元の劇団に入団。子役として活躍した。当時の沖縄では方言を禁止され、標準語励行運動が強制されていた。平良さんは学校で標準語を徹底的にたたき込まれ、すぐに身につけていた。嶋氏が続ける。

「大人の劇団員はなかなか覚えられず、方言抜きでは芝居が成り立たなかった。警察が監視するなか、何本かの演目のうち1本を標準語劇にすることでお目こぼししてもらっていた。その主役を務めたのが、少女だったとみさんでした」

 舞台「洞窟」は72年の本土復帰後に作られた。当初は、幼い娘を死なせてしまう若い母親役だった。

「半狂乱になった鬼気迫る演技は、沖縄の母親(アンマー)たちの深い共感を得た。言葉に尽くせない体験をした人たちばかりですから。沖縄戦を知ってもらうために全国巡演もしましたが、とみさんのおかげで大反響でした」

「ウンタマギルー」「ナビィの恋」などの映画にも出演。昨年、旭日双光章を受章して「芝居なら何でもいい。息がある限りやりたい」と語っていた。沖縄芝居の真骨頂を体現していた。

週刊朝日 2015年12月25日号より抜粋