地方の古い市民会館で「この控室、暑いねぇ。ドア開きっぱなしにならないかなぁー」と呟いたら、おもむろに10センチくらいのおでんのはんぺんのような三角の物体をカバンから取り出し、ドアと床の隙間に挟み込むAくん。見事、楽屋のドアは開いた状態を保ったままに。それはドアストッパーでした。

「扉止めのない楽屋、けっこうあるんですよね(微笑)」

 常にドアストッパーを所持している人間は、ドアストッパー製作所の営業マンかAくんぐらいでしょう。その控室は横長の大部屋で左右にドアがありました。私が「あちらも開けば風が通る……」と言い終わらないうちに、もう一方のドアも開きっぱなしに。……二つ持ってました、ドアストッパー。

 あまりに過剰な用意周到さに祝儀のひとつも切りたくなりましたが、あいにくポチ袋がない。裸で渡すのも気が引けるので、「……ポチ袋とか、持ってるかな?」と聞くと「ございます」。

 借りたポチ袋に2千円包んで「よかったらお茶でも飲んで」と渡せば、Aくんは涼しい顔で「ありがとうございます」。

 その日の別れ際に「師匠、もしご迷惑でなければ、また何かの時にお使いください」とさっきの空のポチ袋を人目をはばかりながら手渡してくれました。

 ありがとう。Aくん。

 こんなダメな私は前座の時、先輩から「これ捨てといて」と渡された紙くずをその場にゴミ箱がないとわかるやいなや、舞台裏の隅の人目につかないところにバンバン捨てていました。

 真打ちになってそのホールに行ってみると、その時のゴミが残ってたことがあります。驚いたなぁ。

 そりゃあ、拾ってゴミ箱に捨てましたよ。人間の成長とはこういうことですか。そうですか。違いますか。

週刊朝日 2015年11月27日号