戦中(右)1944(昭和19)年9月3日号本来はランプの広告であるが、この年、B29による本土への空襲があり、灯火管制の徹底が呼びかけられた戦後(左)1945(昭和20)年12月第1号「マツダランプ」とは東京芝浦電気(現・東芝)の電球のブランド名。品質のよさから圧倒的シェアを誇った(撮影/岸本絢)
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戦中(右)
1944(昭和19)年9月3日号
本来はランプの広告であるが、この年、B29による本土への空襲があり、灯火管制の徹底が呼びかけられた
戦後(左)
1945(昭和20)年12月第1号
「マツダランプ」とは東京芝浦電気(現・東芝)の電球のブランド名。品質のよさから圧倒的シェアを誇った(撮影/岸本絢)
戦中(上)1945(昭和20)年3月25日号戦費調達とインフレ抑止を意図して、戦時中は金融機関の広告が誌面を多く占めた戦後(下)1946(昭和21)年1月20日号戦争が終結しても、復興のため資金調達は不可欠であった。表現は変わっているが目的は同じ(撮影/岸本絢)
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戦中(上)
1945(昭和20)年3月25日号
戦費調達とインフレ抑止を意図して、戦時中は金融機関の広告が誌面を多く占めた
戦後(下)
1946(昭和21)年1月20日号
戦争が終結しても、復興のため資金調達は不可欠であった。表現は変わっているが目的は同じ(撮影/岸本絢)

 人びとの価値観や欲望、生き方を表現に取り込むのが広告だ。その変化を追えば、社会の変遷が浮かび上がる。戦中戦後の「週刊朝日」に掲載された広告からは、あの時代の空気が漂ってくる。

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「広告は、平和産業なんです」

 アド・ミュージアム東京(東京都港区)の学芸員・坂口由之さんは強調する。豊かな経済活動や自由な表現が保障されている社会でこそ成り立つ業態だ、という意味だ。

 戦時中は、広告にとって“冬の時代”だった。「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ!」。勇ましいスローガンで埋め尽くされる誌面は、広告というよりもプロパガンダだ。

 一転して戦後は、写真やイラストを多用し、カラフルでビジュアルを重視したものに変化していった。その手法は、民主化を推し進めたいGHQ(連合国軍総司令部)の意向を反映し、米国の広告の引き写しのようなものも多かった。カタカナやアルファベットも盛んに使われるようになり、その潮流は、大量消費社会を生む高度成長期にも受け継がれていく。

「広告は、いわば時代の合わせ鏡なのです」(坂口さん)

週刊朝日  2015年11月20日号