――土門さんはこの広島で半年を過ぎたころ、アナウンサーを辞めようと思ったという。指導ともいじめともつかない、上司からの理不尽な要求の多さが原因だった。「べらべら喋るだけなんてろくな商売じゃねえ。ふざけんな」と。そんな折に、放送部の一日中流しっ放しのスピーカーからファンファーレの音が聞こえてきた。

 ヘルシンキ・オリンピックの中継でした。

 忘れもしません。<遥か遠く日本の皆様、こちらは白夜のもと、ヘルシンキであります。何はともかく、日本の皆様待望の日の丸の旗が、ヘルシンキの空に高々と上がりました……>。NHKを辞して嘱託アナになっていた和田信賢さんの、きりっとしたアナウンスでした。和田さんは身体を壊されていたんですが、一度オリンピックの放送をやりたいと七礼八礼してメンバーに加わっていたんです。僕はそのイントロのアナウンスを、無意識のうちに目をつむって聴いていました。和田さんはヘルシンキからの帰途、パリで亡くなってしまうんですが、命を犠牲にしてまで続けたいアナウンスというものがあるのだな、と。アナウンサーはお喋りだけが商売じゃねえんだ、もういっぺん考えてみてもいいんじゃないか。もう一度、一からやり直してみようと、僕はアナウンサーを続けたんです。

週刊朝日  2015年11月20日号より抜粋