貞元親王が眼病を患い、祢津(現・東御市)の山の湯で養生され、白鳥神社で祈願されたと伝えられる。貞元親王は海野氏の祖先とされる(諸説あり)。

 初代信之の松代藩転封の際には、白鳥神社も松代に分祀した。上田藩から松代藩へ旅立つ時のこと、信之の駕籠の上に白い鳥が舞い降り、共に移りたいと願い出たとの言い伝えがある。

 地元では、東御市の神社は「しらとり」神社、松代の神社は「しろとり」神社と呼ばれ、真田家はどちらの神社も敬っていた。

 私も折に触れ、松代の白鳥神社にお参りし、また昨年、東御市の白鳥神社にも機会あって訪れた。

 さらに真田家にゆかりのある神社として挙げられるのが象山神社である。

 象山神社は幕末の松代藩士・佐久間象山を祀る神社である。2010年には佐久間象山先生生誕200年に先だって、銅像を建立している。

 ちなみに一般には佐久間「しょうざん」であるが、地元では「ぞうざん」で通っている。いずれの神社も真田家とは関係が深く、参拝する機会をいただくことは大変ありがたい。

 ただ往々にして困ったことに直面することがある。“一筆を”と言われることである。前回は銅像を建立する際に台座に「佐久間象山先生」の文字を書くことになった。祖父幸治の代までは“本物の”お殿様であった。普段、筆で文を書くことに慣れていた。

 戦国の時代ではなおさらである。文から受ける印象が、その武将の運命を左右する。味方に付くか敵に回るか、勢いのある筆で自信ありげな内容でなければ人の心を引き付けられないであろう。文を書くのも命がけである。対して現代、理系の学部にいるので、普段キーボードで入力することばかりである。今回の真田神社参拝の際には、こともあろうに、社に掲げる額に彫る「真田神社」の文字を書くことになった。後世まで残る物。よく“味があって”などとフォローが入るが、下手な筆でも一大事。お盆休みを使って練習を重ね、やっと書き終えた。しかし、普段書き慣れていないので、緊張の連続。これもまた寿命が縮む思いであった。

週刊朝日 2015年11月13日号