一時、小山田家も真田姓を名乗ったことがありました。慶長3(1598)年に、小山田茂誠は真田茂誠に改姓したという記録があります。しかし、徳川秀忠が2代将軍になった慶長10(1605)年に、遠慮してまた小山田姓に戻しています。秀忠は関ケ原の戦いの進軍途中に上田城攻めに苦しみ、真田家を憎んでいましたからね。

 1622年に信之が松代へと転封され、小山田家も上田から松代に移りました。いま住んでいる家は、お屋敷があった場所から変わっていません。当時からの井戸も残っています。昔は番所でした。

 その後小山田家は、松代藩の江戸詰の家老でした。当時の江戸の地図を見ると、小山田の名前が残っています。幕末の時代、桜田門外で井伊直弼が暗殺されたときには、斬られた首を桜田門まで見に行ったそうですよ。

 今も家には古文書などがたくさん残っています。私のおばあちゃんのころですが、留守番をしていたら池波正太郎さんがうちに史料を調べに来たこともあったそうです。小説を書くとき、池波さんは松代のこともよくお調べになっていたそうですよ。

 私は2年前まで医師として開業していたので、忙しくて古文書などはあまり読んでいませんでした。引退したいま、小山田家の歴史を追求しています。

(本誌・鈴木 顕、森下香枝/カスタム出版・横山 健)

週刊朝日  2015年11月6日号