作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は韓国を訪れ、日本の遊郭跡などを“巡礼”してきたという。

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 シルバーウィークは韓国で過ごした。毎年この季節に行われる「タンポポ巡礼団」という、女たちの集いに参加した。

 これは性買春の現場で犠牲になった女性たちを慰霊するために2006年にはじまった運動で、「巡礼」するのは、性が売買される現場だ。多い時には全国から数百人の女性が参加するという。今年は20代の女性を中心に、50人ほどが港町の群山(クンサン)に集った。

 彼女たちと共に訪れた市場で、家の前で唐辛子を広げている女性に「どこから来た?」と聞かれ「日本から」と答えると、「ここは昔の日本の家よ」と教えてくれた。知っていた。この辺りは植民地時代に有名な高級遊郭地帯だったと、事前に教わっていた。

 植民地時代のシンボルといえば、神社と遊郭だったという。居留事業の一環として、当然のように、か・な・ら・ず! 遊郭は真っ先につくられた施設の一つだった。その「文化」が、この国には色濃く残っている。例えば、性売買の施設が「特殊飲食店」と呼ばれたり、米軍向けに国が管理した女性たちを「慰安婦」と呼んだりと、性売買の現場の言葉は、日本語がそのまま使われることが多い。

 
 かつての日本と今の日本を、迷いなく真っすぐに一本の線で結ぶ「性」。男は女を買うもの、なぜなら男だから。女は男を慰安するもの、なぜなら女だから。そんな「文化」がここに、言葉として形として残されているのを目の当たりにすると、厳しい問いを突きつけられているように感じる。なぜ、私たちはここまで変わらなかったのか。

「巡礼団」は、日本の遊郭跡、米軍基地周辺の買春施設、そして現在もにぎわう韓国人相手の買春施設を巡り、最後に、ある場所を訪れる。

 00年、この街の性売買施設で火災が発生し、5人の女性が亡くなった。さらにその1年半後、やはり性売買施設の火災で13人の女性が亡くなった。どちらも、女性が生活する部屋には外側から錠がかけられ、窓には鉄格子、またはベニヤ板が貼られていた。逃げようにも逃げられず、20代の女性たちが亡くなった。当時の警察のずさんな対応も含め、あまりにも衝撃的なこの事件をきっかけに性売買防止法が制定されるようになり、また1度目の火災が起きた9月に、全国から女性たちが、この街を訪れるようになったのだ。

 街を歩く前、リーダーの女性がこう挨拶した。「記憶にとどめ、その証言者となりましょう」と。そのために、この「巡礼団」があるのだ、と。

 韓国に旅立つ直前、憲法9条違反とされる安保法案が採決された。戦前から変わらず続く「文化」と、国の形を力ずくで変えようとするものの正体は、同じ色をしているように見える。記憶を封じられると思っている。個々の声を封じられると思っている。私たちが忘れることを願っている。過去を「巡礼」する韓国の若者たちの背中を見ながら、私たちが記憶すべきものの輪郭をクッキリと与えられたように思った。

週刊朝日 2015年10月9日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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