山田太一さん(右)と帯津良一さん(撮影/写真部・堀内慶太郎)
山田太一さん(右)と帯津良一さん(撮影/写真部・堀内慶太郎)

 テレビドラマの脚本や、『空也上人がいた』(朝日文庫)など多数の小説も執筆している脚本家の山田太一さん(81)。さまざまな療法でがんに立ち向かい、『死を生きる。』(朝日新聞出版)などの著書も多数ある名医・帯津良一先生(79)との対談で、肺結核にかかっていたことを明かした。

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帯津さん(以下、帯):体の調子はいかがなんですか。

山田さん(以下、山):全体に衰えておりますけれども、特にどこか悪いということはないです。それと、体のことを神経質にチェックしないようにしています。いつ死んでも誰も怪しまない年ですから、苦痛止めは欲しいですが、用心のクスリは気まぐれでいいと思っているんです。動けなくなればしょうがないし、死んだとしても、死ぬのはいやかもしれないけれど、しょうがない。

 すごく僭越(せんえつ)な言い方をすれば、死ぬというのは恵みであるような気もします。ここまで医学がどんどん進歩してくると、なかなか死ねない。でも、人間が死んでくれなければ、人類は困るわけですから、死ぬってことをそんなに毛嫌いばっかりしている人生観ではみんな苦しくなってしまいます。死ぬことはある年齢になったらおめでたいんだという考え方は、昔からありますよね。

 自分のことも、できたらそういうふうに考えていきたいですね。同年代の人がどんどん死ぬんです。そうすると、なんか取り残されたような気がするんですよね。なんか自分は出遅れているような。こっちも少し急がなければという感じです(笑)。

帯:昔から病気をされたことはあまりないんですか。

山:ええ、あんまりないです。母が早くに亡くなり、兄も3人、肺結核で死んでいるので、死ぬっていうことを何度も小さいときに経験しました。そのせいで、命って大切だっていう思いと、病気に対する用心を小さいうちに刷り込まれている。付け上がっちゃいけないという気持ちがどっかにあって、用心深く生きてきてしまったのかもしれませんけれども。

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