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 映画にエロスがなぜなくなったか。同い年の映画人2人が、ある夜、そんなテーマで深く、熱く語り合った。

 奥田瑛二さんのもとにかかってきた一本の電話。高橋伴明監督からの「会えないかな」という申し出に、“何か重要な話があるな”と直感した。酒を酌み交わし世間話を交えつつ、監督は、“エロス”という切り口から、映画の構想を語り始めた。主人公は大学で映画撮影の教鞭(きょうべん)をとりながら、新作の脚本に取りかかる中年の映画監督・時田。奥田さん自身の投影でもあり、監督の投影でもあった。

「その時点で、“同じ映画人として、ぜひ協力するよ”と伝えたの。そうしたら監督はすぐ脚本を書き上げて、実際に撮影にかかる段取りを組んできた。僕の“協力”の意味は、俳優としてカメラの前で全てを曝け出すよ、ってことだから。結果として、虚実が入り乱れたエロティックな映画ができあがったんです(笑)」

「赤い玉、」で奥田さんは、60代とは思えない均整の取れた肉体を曝しながら、老境に差し掛かった人間らしいみっともなさや、愚かさを、リアリティーたっぷりに表現している。

「この映画で俺が演じたのは、結局時田の“足掻(あが)き”なんだよね。俺自身、昔から周りに『大人になれ!』って説教されて、『大人になるって何だ?』って悩んで、もがきながら生きてきた。でも、“足掻く”とか“もがく”っていうのは生きてる証拠。前に進もうとしている証拠なんです」

 そうして、この映画に出演したことで、奥田さんは、足掻いた先にある答えを見つけたのだという。

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