騒ぎに気づいたお紺が駆けつけて貢に折紙を渡し、フったのは、岩次を騙してこれを手に入れるためだったとこんな言葉を伝えます。「サイナアお前に忠義が立てさせたさ」。お紺にしてみれば、偽の祝言まで挙げたのにすべて台無し!と憤ったに違いありません。結局、刀はすり替わっておらず、お紺の言葉で正気に戻った貢は、ラッキーといった感じで、依頼人の元へ刀と折紙を届けに行きます。

 貢に一線を越えさせた万野のような憎い存在は、職場や町内会など、誰の周りにもきっといると思います。でも、どんな嫌がらせをされてもキレてはいけません。演目は十人をバッタバッタと斬って終わりますが、現実の世界はその先が大変ですからね。キレやすい人はお紺のような冷静な仲間を持っておくべきです。

 私は今回、貢が殺人を犯す、奥庭十人斬りの段を務めます。人生で親を亡くしたり、好きな人に想いが届かなかったりは経験できるかもしれませんが、衝動的に十人を殺す体験は絶対にできないわけで。自分の中にクレージーな精神状態を創り出すことは苦しみでもあり、また語るうえでは楽しみでもあります。

 今年は猛暑が続き、9月も残暑が厳しいと思います。伊勢音頭恋寝刃は、夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)と並ぶ夏芝居の代表作で、私たち演者も白麻の紋付きに絽や上布の肩衣、麻袴と涼やかです。世話物史上、最凶の殺人シーンでゾッとなって(爽快に?)納涼といきましょう。

豊竹咲甫大夫(とよたけ・さきほだゆう) 
1975年、大阪市生まれ。83年、豊竹咲大夫に入門。86年、「傾城阿波の鳴門」おつるで初舞台。今回の「伊勢音頭恋寝刃」では奥庭十人斬りの段を務める。

※「伊勢音頭恋寝刃」は9月5~21日、東京・国立劇場小劇場。午前11時開演。公演の料金や空席状況などの詳細は国立劇場チケットセンター(ticket.ntj.jac.go.jp/)。

(構成・嶋 浩一郎、福山嵩朗)

週刊朝日 2015年9月4日号