清宮も! 高校野球で増える「右投げ左打ち」に東尾修が危惧
連載「ときどきビーンボール」
私が西武監督になった20年も前から「右の大砲」がいなかった。楠城にも「右の大砲を探せ」というがなかなかいない。松井稼頭央(楽天)だって、スイッチヒッターに転向してもらったが、右だけで勝負させようか迷ったほどだ。今はもっと状況は偏っている。「俊足巧打の右投げ左打ち」の選手は山ほどいる。
今話題の早実・清宮幸太郎もそうだと聞く。ただ、「左打席」を作る過程で、スケール感を失わないことを真剣に考えることが大事だ。右打席のように利き腕の右手で押し込んで長打するという部分はどうしても消えてしまう。特に、小学生、中学生の指導者で、左打席を作り上げていく指導方法を持っている者は少ないだろう。結果だけ求めて小さくまとまった選手が増えてしまう。単に出塁したいから、試合に勝ちたいから、といった理由で、その子の特長や成長度を見守る前に左打者に変えてしまえば、同じような選手しか出てこなくなる。
私が、若年層の指導者などと話をしたときに、冗談も交えて言うのは「犠打禁止にしたらどうだ」ということだ。野手なら遠くへ飛ばす、投手なら速い球を投げるといった、野球本来の喜びを知ってもらいたいからだ。今、NPBやオーナー会議でも、少年少女の野球離れを危惧する声が上がっていると聞く。野球の楽しさをまず知ってもらうこと。犠打や当てただけの内野安打では、つまらないよ。
私が投手総合コーチを務めた2013年のWBCでも感じたが、国際大会では外角のストライクゾーンが広いため、左打者は左投手に対して圧倒的に不利になる。4番には右打者がほしいと考えるのは自然だし、侍ジャパンの小久保裕紀監督も中田翔(日本ハム)の4番にこだわっていることを見れば、右打者の重要性がわかる。
今、セでは山田哲人(ヤクルト)、パでは中村剛也(西武)といった右打者が本塁打王争いのトップに立つ。少年たちに「右の長距離砲を目指したい」と思ってもらえるような、成績を残してもらいたい。
※週刊朝日 2015年8月28日号
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。