何度やってもうまくいかず、そのうち二人の瞼(まぶた)は真っ赤に腫れ上がり、首は皮がむけ、赤黒いあざがついた。ふらふらと次の死に場所を探しさまよっていると、途中で長女の八重子と再会。3姉弟が島の西側を占める森の山頂であるウンザガーラにたどり着いた。そこでは悲惨な光景が広がっていた。

 生まれて数カ月ほどしかたたない祖父の叔父の子どもである赤ん坊が、木の枝にぶらさがっていた。その下には、叔父と叔母、そして4人の娘がうずくまるようにして、死んでいた。祖父は言う。

「でも、それを見ても、かわいそうだなんて思わなかったよ。早く死ねてよかったねえ、って心から思ったさー」

 確実に死ぬために、祖父は、日本兵のところへ手投げ弾をもらいに行くことにしたという。

「そこにはもう日本兵は誰もおらんかった。先に逃げとったんじゃなあ」

 頬をなでながら、遠い目をする祖父。いつもの笑顔は消えている。

 そして、銃弾や砲撃から逃れ、手ぶらで森に戻ってきた祖父たちは、「最後にみんなで首をくくっていっせいに死のう」。布切れや葉っぱや腰ひもなどをかき集め、それぞれが木にくくりつけた。首を輪にかけて、いざ、死へのかけ声。けれど、

「ちょっと待って、待って、まだよ」

 一人は足を滑らせたり、一人は木の枝が折れたり。なかなかうまくいかなかった。もう一度、もう一度……。死への号令を繰り返しているうちに、そのうち、皆が死ぬことに疲れ果ててしまった。このまま鬼畜米英に捕まるのか──。心は、地獄をさまよっていた。

 ふと、向こうで大きな声がした。先に捕虜になった村人の声だった。

「みんなは生きているんだよ!」

 聞けば、米軍の捕虜になったという。祖父たちが山を下りると、死んだと思っていた人たちはまだ生きていた。米軍は、チョコレートや缶詰、たばこ、何でも持っていた。

週刊朝日 2015年8月21日号より抜粋