松井稼頭央に「はよ、打て」とプレッシャーかけていた“師匠”とは (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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松井稼頭央に「はよ、打て」とプレッシャーかけていた“師匠”とは

連載「ときどきビーンボール」

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週刊朝日#東尾修
心からの祝福を…

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 2001年だったかな。9月29日のオリックス戦(神戸)でぎっくり腰を起こした。翌30日は西武ドームでの試合だったが、稼頭央に状態を聞くと、試合出場は「無理」ということだった。自宅静養が望ましいという状況だったが、「待っているぞ」と強引に球場に呼んだ。連続試合出場を途切れさせたくなかった。「代打で立っているだけでいい」。そこから腰痛が持病となったけど、日々のケアには頭が下がるよな。監督時代に疲労回復に水風呂を勧めたが、今でも実践してくれていると聞くとうれしいよ。

 今、日本では幼少期に右打者が左打者に転向することが増えている。松井秀喜や阿部慎之助などが代表例だ。スイッチヒッターがどんどん減っているのはそのためもある。でもメジャーは違う。子どもの頃から、例えば左打席で有望な者には、右打席もやらせる。その理由は、左投手に対して有利になるとの合理的な考えがあるからだ。本塁打を年間30本以上量産する強打者にもスイッチヒッターは多い。もう日本では、彼のような長打力も兼ね備えたスイッチヒッターは出てこないかもしれないな。

 6月下旬に家族ぐるみで稼頭央と食事をした。野球の話はほとんどしなかったが、楽しい時間を共有できてうれしかった。10月で40歳。ここからは一年一年が勝負になるだろうが、あまり多くのことを背負わず、肩の力を抜きながら、野球と向き合ってほしい。また、オフにでも話をしよう。

週刊朝日 2015年8月14日号


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東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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