日本でのプロ野球通算2千本安打を達成した。楽天・松井稼頭央選手。西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、松井選手との思い出をこう語る。
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楽天の松井稼頭央が7月28日のソフトバンク戦(秋田)で日本での2千安打を達成した。試合後すぐに電話がかかってきたよ。中堅前へのポテンヒットで「お前らしいヒットじゃないか?」と笑いながら話したけど、本人は「ホッとしました」と実感を込めて言っていた。
達成するまで、家族は帯同し続けていたし、何より楽天のチーム状態が悪い中で、カウントダウンをしている最中にも注目が集まる。早く日常に戻りたかっただろうな。思えば、日米通算2千安打の時に、私が米国に到着してから8試合かかった。料理店で食事をした時に「はよ、打て!」とプレッシャーをかけたことも覚えている。ミルウォーキーで名球会ブレザーを渡した時、「名球会へようこそ。ここまでよう頑張った」と声を掛けたけど、あの後もひたむきに野球に取り組んできた姿勢に敬意を表し、心から祝福したい。
私が西武の監督1年目(1995年)に身体能力の高さに惚れ込んでレギュラーに抜てきした。スイッチヒッターを本格的に目指す上で、最初に考えたのは、利き腕である右腕を死球から守ることだった。当時は今のように優れた「肘当て」はなかったと思う。遊撃手のレギュラーとして全試合出場させるために、故障のリスクを排除したかった。でもよく耐えたよな。私が打撃投手を務め、本気で体めがけて投げた。何度も当たって「痛い」と声をあげたが、根気よく続けてくれた。アメフトのような特注防具を着てやっていたが、最初はテニスボールを使っていたものを、野球の硬球に途中から変えた。ロッテのバレンタイン監督から“交換要員は希望の選手でいいから”とトレードの申し出もあったよな。でも、当時はこれだけの安打とパワーを兼ね備えた打者になるとは想像もできなかった。
今、日本では幼少期に右打者が左打者に転向することが増えている。松井秀喜や阿部慎之助などが代表例だ。スイッチヒッターがどんどん減っているのはそのためもある。でもメジャーは違う。子どもの頃から、例えば左打席で有望な者には、右打席もやらせる。その理由は、左投手に対して有利になるとの合理的な考えがあるからだ。本塁打を年間30本以上量産する強打者にもスイッチヒッターは多い。もう日本では、彼のような長打力も兼ね備えたスイッチヒッターは出てこないかもしれないな。
6月下旬に家族ぐるみで稼頭央と食事をした。野球の話はほとんどしなかったが、楽しい時間を共有できてうれしかった。10月で40歳。ここからは一年一年が勝負になるだろうが、あまり多くのことを背負わず、肩の力を抜きながら、野球と向き合ってほしい。また、オフにでも話をしよう。
※週刊朝日 2015年8月14日号